2021年3月24日水曜日

「41年間の登校見守りに感謝」

                       
 近所に親しくしているクリーニング店主のNさんがいる。震災前後、Nさんの下で区内会の仕事を学んだ。近くのスナックでの飲み会にもよく誘われた。

 朝は制服を着て交通教育専門員の仕事をする。3月15日早朝、小学生の登校見守りをすませてわが家に立ち寄り、カミサンに3月で任務を終えることを告げた。私は夏井川渓谷の隠居へ出かけて朝めし前の土いじりをした。その時刻には帰宅中だったので会えなかった。

 Nさんが交通教育専門員に就いたのはいつだろう。私たちは、子どもがまだ幼稚園に通っていたころ、下平窪(平)から中神谷(平)へ引っ越してきた。息子たちが小学校に入ると、すでにNさんは立哨活動をしていた。もう40年ほど登校日には欠かさず信号機のそばで子どもたちの安全を見守ってきたことになる。

 先日配った隣組の回覧資料のなかに平六小の「学校通信」があった。「41年間の登校見守りに感謝」という見出しの記事が載っていた=写真上1。今年度(2020年度)最後の全校集会が3月15日に開かれた。Nさんに感謝状を贈り、代表児童が感謝の言葉を述べたことを伝えている。正確には、41年! Nさんの「子ども見守り歴」の長さがハンパではないことが、これからもわかる。

 15日、Nさんは朝から忙しかったようだ。いつもの登校見守りをすませ、わが家に立ち寄ったあと、あらためて六小の全校集会に臨んだ。

同じ日の朝、私も小学生を意識して隠居から帰った。最初は、小川小。いつもは町内の旧道を戻るのだが、通学路になっているところがあるので、行きと同じバイパスを利用した。次は平四小。児童のいない学校の裏手の田んぼ道を通った。

平二小学区では一部、通学路と重なった。夏井川の堤防から平橋を渡ると、PTAのほかに制服を着た交通教育専門員がいた。とっさにNさんの顔が思い浮かんだ。帰宅すると、そのNさんが来たという。

きのう(3月23日)は小学校の修・卒業式。Nさんにとっては41年に及ぶ任務の最後の日だ。朝7時すぎ、家の前の通学路に出てNさんを待つ。あいさつを交わしたあと、記念写真を1枚。それから、横断歩道で子どもたちを安全に誘導しているところを何枚か撮った=写真上2。

午後、街へ行ったついでに「神谷耕土」のサクラを見ながら帰った。上神谷の山腹にある住善寺のシダレザクラ(エドヒガン=市の保存樹木)は満開だった。そういえば、3月21日の日曜日、隠居からの帰りに寄った小川諏訪神社のシダレザクラも満開だった。それで、シダレザクラはソメイヨシノより早く開花することを知った。

平六小の校庭のソメイヨシノは、と見れば、咲き出したばかりだった。サクラが開花したなかでの入学式はともかく、修了式・卒業式に桜が咲いたのは今まであったかなかったか。

春の花が咲き出すなかで、地域の子どもたちを40年以上も見守ってきた人が、次にバトンを渡す。地域はこうした地道な活動を続けている人々によって支えられている。そういう人こそほんとうのヒーローではないか――Nさんの、交通教育専門員としての最後の朝に、そんなことをしみじみと思った

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