2021年3月18日木曜日

詩と写真集『曖昧な喪失』

                      
 フランス人写真家デルフィン・パロディと日本人作家多和田葉子さんの詩と写真集『曖昧な喪失』をじっくり読む。

津波被災者や原発避難者と2人をつないだ知人のTさん(いわき)の元に本が届いた。届いたら見せてもらう約束をしていた。深く考えさせられる1冊になっている。

 3・11の直後、シャプラニール=市民による海外協力の会が、国内で初めて、いわきで長期的な支援活動に入った。その拠点になったのがラトブ、次いでイトーヨーカドー平店(今年2月28日で閉店)などで開設・運営した交流スペース「ぶらっと」だ。

震災から1年余りたった2012年5月中旬、Tさんや私ら夫婦がボランティアとしてかかわっていた「ぶらっと」に、デルフィンがやって来た。以来、英語に堪能なTさんが彼女の写真取材に協力した。デルフィンとドイツ在住の多和田さんが知り合うと、Tさんは多和田さんの福島取材を支えた。

結果、ドイツで2人の作品展が開かれ、多和田さんの長編小説『献灯使』(2018年全米図書賞受賞=第1回翻訳文学部門)などが生まれた。

 ぜひ、詩と写真集を――。デルフィンも日本での出版を願っていたが、なかなか実現しなかった。それが去年(2020年)、クラウドファンディングで、母国フランスで出版が実現した。Tさんも協力したという。

 同年11月4日、フェイスブックにデルフィンが情報をアップした。フランス語から日本語に切り替えて読んだ。2人の本が、フランスの2020年HiP賞(自然と環境部門)を受賞した、とあった。

 その本が今、手元にある=写真(右側の瓶はTさんからいただいた焼酎)。縦に長い変形本だ。1ページに1枚の写真が配され、パート、パートの区切りとして見開き写真が使われている。

生々しい惨状を伝えるようなものはない。避難した友の語らい、仮設住宅での一コマ、あるいは里山・渓流・夏の稲田・海……。「ぶらっと」で知り合い、親しく言葉を交わした人が何人か登場する。それもあって、何も変わらないような風景の向こうに失われた世界が浮かび上がる。追われてきたふるさとが重なる。それが、いわきで暮らす私にも見える。

表紙は鈍色(にびいろ)の布張り。平安時代には、鈍色は「喪の色」だった。タイトルの『曖昧な喪失』をよく表している。

それぞれのパートの後半には、日本語・ドイツ語・フランス語・英語の4カ国語で多和田さんの詩が載る。最後のパートだけは、詩ではなく、被災者・避難者のことばが、やはり4カ国語で収められている。

 たとえば、富岡町から避難した人のことば。「私の家族は富岡町の立ち入り禁止区域の中に稲田を持っていました。収穫したての味新米それを毎年待ち侘びていた。けれど、もうそれは二度と出会うことができない」

 この言葉と対応するような多和田さんの詩がある。「もう二度と自分でつくった米を食べることはない/五十年間 穀物の錬金術をみがいた男/海を真似て稲穂に塩を与えたこともあった/刻一刻 苗が緑をこえた緑に輝き/種が金をしのぐ金色に育つのを/子供の時に目撃した/海にのまれた後の稲田に訪れる豊作を」

 デルフィンの写真と多和田さんの詩が交感し、さらに避難者一人ひとりのことばが、静かに、深く、強く、こちら側に響いてくる。

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