2021年3月1日月曜日

ふるさと出版文化賞

                    
 きょうから3月。「3・11」から満10年を迎える節目の月に入った。その意味では、次の歌集と詩集も10年の心の軌跡を反映したものだろう。

いわき民報社が2月26日、令和2年度の「ふるさと出版文化賞」を発表した=写真。吉田信雄さん(84=泉)の歌集『思郷』が最優秀賞、木村孝夫さん(74=平)の詩集『福島の涙』が優秀賞を受賞した。

 木村さんとは東日本大震災後、シャプラニール=市民による海外協力の会が開設・運営した交流スペース「ぶらっと」で知り合った。シャプラは夫婦で関係している国際NGOなので、2016年3月12日に「ぶらっと」を閉鎖するまで、ちょくちょく顔を出した。

以来、木村さんが詩集を出すたびに恵贈にあずかった。『福島の涙』をいただいたときにも、ブログで紹介した。

 まずはその抜粋――。東日本大震災とそれに伴う原発事故以来、木村さんは津波被災者と原発避難者の側に立った詩を書き続けている。

震災詩集はすでに、『ふくしまという名の舟にのって』(2013年)、『桜蛍』(2015年)、『夢の壺』(2016年)、ポケット詩集『私は考える人でありたい――140文字の言葉たち』(2018年)、同『六号線――140文字と+&の世界――』(2019年)、『福島の涙』(2020年)の6冊になる。

メディアでは掬(すく)いきれない被災者・避難者個々の悲しみや怒りに寄り添う。『福島の涙』のあとがきにも、「ここに掲載している作品全てが、福島の涙である。/大津波で行方不明者になっている方もまだいる。原発事故で避難している方々もたくさんいる」と記す。一人ひとりの真情は、心底にあるものは何年たっても変わらない。木村さんはそれを詩で代弁する――。

 去年(2020年)は粥塚伯正クンの詩集『婚姻』が特別賞を受賞した(粥塚クンはそれからほどなく、心筋梗塞で急死した)。2年続けて知った人が顕彰されるのはうれしい。

『思郷』の吉田さんは大熊町出身で、元高校教諭だという。記事に「常葉町や会津若松市の避難生活、家族の離散、そして100歳を超えて他界した両親や故郷への思慕などを詠んだ歌が中心」とあった。

あのとき、双葉、大熊、富岡などの町民は、多くが阿武隈の山を越えて西へ避難した。吉田さんもそうして田村市常葉町にたどり着いたのだろう。

昭和31(1956)年4月17日夜、常葉町が大火事に見舞われる。近隣市町村はもとより全国からたくさんの義援金・物資が寄せられた。

その58年後の平成26(2014)年4月、田村市消防隊常葉地区隊が小冊子『常葉大火の記録と記憶』を発行する。なかに震災後、大熊町から一時避難した男性の手記が載る。

「常葉町の人たちは私たち避難民を暖かく迎えてくれました。寒い時期でしたが毛布、布団などもたくさん用意していただき、暖房器具、食料品なども用意していただきました。こんなにうれしい事は今まで経験したことはありませんでした」

 少したってから、男性はボランティアで来ていた町民に尋ねる。「なぜこんなに親切にしてくださるのですか」「昔、常葉大火の時に大熊町の消防団にはすごくお世話になりました。ですからその時のお礼をしなければと思いました。こんなことは平気です。私たちは当たり前のことをしているだけです」――。

 吉田さんも男性と同じような気持ちになってくれただろうか。常葉大火で被災した小学2年生は、65年がたった今、古巣の「ふるさと出版文化賞」の記事を読んで、雷に打たれたように『思郷』を読みたい、という思いになっている。

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