2021年4月12日月曜日

「五春」のなかの「春日様」

                      
 夏井川渓谷の小集落・牛小川にのぼりが立つ。集落の裏山に小さなほこら(春日神社)がある。牛小川の宝ともいうべきアカヤシオ(岩ツツジ)が見ごろになる4月の日曜日、お祭りが行われる=写真。

 といっても、8軒から1人が参加して神社にお参りし、ヤド(宿)に戻って直会(なおらい)をするだけだ。

 Kさんが納屋をカラオケルーム兼談話室に改造してからは、ヤドはそこに固定されている。今年(2021年)はきのう(4月11日)行われた。週末だけの半住民である私も、毎年招かれて参加する。

 前日の午前中、用があって車を利用した。運転席の窓を少し開けて車内に熱気がこもらないようにした。夜、運転席の窓を閉めようとキーを動かしたが、全く反応がない。ルームランプもつかず、エンジンもかからない。

 師走に車検を受けて通ったが、そろそろ買い替える準備をした方がいいかな、という話になった。単にバッテリーならそれを直せばいいだけだが、そうでなかったら買い替えも視野に入れないといけない。

「あした、春日様のお祭りがある。車がないと出かけられない。欠席の連絡をするか。それともだれかに車で送ってもらうか」。寝る前に思いを巡らし、起きて考えたのが、息子に送ってもらうことだった。

 上の息子は子どものサッカーの送り迎えがある。時間的な余裕がない。下の息子は日中、用があるものの、朝は大丈夫だという。それで、参拝1時間前には隠居に着いた。夕方にもなんとか都合をつけて迎えに来るという。

 午前10時――。一同そろって急な坂道をのぼり、やしろに着く。四半世紀も同じことを繰り返しているので、40代後半のときと70代前半の今の体力差がはっきりわかる。ほかの人間も思いは同じだ。「神社をふもとに移そう」。寄合になるたびにそんな話が出る。限界集落である。それも踏まえての議論だが、次第に現実味を帯びてきたようだ。

 直会ではいつものように、渓谷の自然と人間の話になった。ネットや新聞で私のブログを読んでいる住民がいる。それにからめた話題も出た。「カラスは賢い」。家の中にまで入っていたずらする。時折、花火をあげて追い払う。それですっかり顔を覚えられてしまった。姿を見せないようにして花火をあげようとするのだが、気配を察してすぐ電線から消える。いつもながら勉強になる。

 今年もKさんからおふかしとゼンマイの煮物を、別のKさんからはタケノコの煮物と白菜漬けをもらった。春の春日様のお祭りではいつも自家製のおみやげが付く。

 直会も解散となれば、あとは自由時間だ。しかし、その自由は自分の車があってのこと。それが隠居の庭にない。まるで風を待つ帆船の客のようだ。下の息子が現れる夕方4時まで、隠居でこたつにもぐり込んで昼寝をしたり、畑の草をむしったり、隠居の周りを巡って花の写真を撮ったりした。

 4月中旬が始まったばかりなのに、周囲の森は花盛りだった。散り残っているアカヤシオ、ヤマザクラ、庭のシダレザクラ、スイセン、道端のソメイヨシノ……。それに木の芽が吹きだして、やわらかい色彩を見せている。

 春の3カ月は初春・仲春・晩春に区別される。仲春と晩春が一緒にきて、さらに初夏も足踏みを始めたようなせわしさだ。この時期、私はいつも故安野光雅さんの水彩画を思い出す。この瞬間は車のないことを忘れて、渓谷の「五春」を楽しんだ。

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