日曜日(4月25日)――。夏井川渓谷の隠居で1時間ほど土いじりをした。昼食は上流の田村郡小野町でとることに決めていた。その前に、JR磐越東線小野新町駅近くの東方文化堂(磐越東線ギャラリー)へ寄る。そのあと、町なかの渡久製菓へも行く。カミサンが「甘いもの」を買いたい、という。
10時半には隠居を出た。薄曇りのなか、川前町を過ぎて小野町夏井地区に入ると、1週間前にはまだ花をまとっていた「夏井千本桜」がすっかり葉桜になっていた。標高420メートルほどの高原にも春がやってきた。といっても、まだ山はほほえみ始めたばかりだ。
東方文化堂へは11時ごろに着いた。中に入るとすぐ、磐越東線ギャラリーがある=写真。オーナーの渡辺伸二さんが対応してくれた。
磐東線の開通を告げる新聞記事や史料、駅名看板、写真などがびっしり飾られている。ひととおり渡辺さんの解説を受けたあと、平成19(2007)年に渡辺さんが出版した『磐越東線ものがたり 全通90年史』の話になる。「この本には世話になった」というと、渡辺さんの口調がさらに滑らかになった。
前に書いたことをざっと紹介する。いわき市小川町出身の詩人草野心平に「故郷の入口」という題の詩がある。昭和17(1942)年10月、心平は中国・南京から一時帰省する。詩の冒頭4行。「たうとう磐城平に着いた。/いままで見なかったガソリンカーが待ってゐる。/四年前まではなかったガソリンカーだ。/小川郷行ガソリンカーだ。」
磐越東線をガソリンカーが走ったのはいつか。渡辺さんの本に当たって確かめた。「このガソリン動車、磐越東線では昭和11年(1936)4月15日から平・小川郷間を走っていた」、太平洋戦争末期の「昭和20年(1945)6月のダイヤ改正時には姿を消している」。心平のいう同17年の4年前ではなく、6年前には運行が開始されていた。
それで心平の詩の価値が下がるわけではない。詩は詩。でも、作品とは別に実証研究はちゃんとしておく必要がある。
ギャラリーの奥、かつては居間だった最初のスペースは「ミニ企画室」、さらにその奥は「ミニ図書室」だ。
ミニ企画室では同じJR水郡線駅舎の鉛筆画展が開かれていた。たまたま日曜日でやって来たのか、作者の画家佐々木麻里さん(石川町)が解説をしてくれた。水郡線を利用したことはない。が、福島県中通りを南北に走って郡山と水戸を結ぶ。2019年秋の台風19号では鉄橋が落下した。全線の運転が再開されたのは今年(2021年)3月27日だった。
図書室に『写真が語るいわき市の100年』(いき出版、2019年)があった。私が責任者になって、知人やいわき地域学會のメンバーとともにつくった。そのことを伝えると、名刺交換を、となって、さらに話がはずんだ。
次は、渡久製菓へ――。渡辺さんは、品物が売り切れてないときがある、という。すぐ電話で確かめてくれた。前は目抜き通りの柏屋にあったが、そこは、今はない。工場兼店舗がある地図をコピーし、道順を教えてくれた。「ぬれ花まめ」のほかに、「こわれ花まめ」がある。カミサンは、味は同じ「こわれ」の方が安いので、それを欲しがっている。しかし、そう簡単には「こわれ」は出ないのだろう。数は少なかった。
友人・知人に配るため、けっこうな数を買い込んだ。そのあと、郊外のレストラン志木でハンバーグ定食を食べ、次の目的地・古殿町の道の駅へと国道349号を南下した。
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