2021年4月13日火曜日

バッテリーが原因だった

        
 きのう(4月12日)の続きのようなもの――。土曜日(4月10日)の午前中、用があって車を運転した。運転席の窓を少し開けて車内に熱気がこもらないようにした。夜、窓を閉めるために車のキーを回したが、全く反応しない。ドアを開けてもルームランプがつかず、エンジンもかからない。

バッテリーが上がった? バッテリーが原因なら簡単だが、それ以外だったらコトだ。買い替えも考えないといけない。

 早朝6時、そんなことを含めて夏井川渓谷の春の祭りのことをブログに書いたら、すぐ後輩が電話をよこした。「バッテリーだと思う」という。7時前、押っ取り刀(道具)でやって来た。

 私の車は道路から家の庭に入ったままの状態で隣の境の生け垣に面している。車を向かい合わせてのバッテリー再充電は難しい。一計を案じた後輩は、まず私の車のバッテリーをはずし、次に自分の車のバッテリーをはずして私の車に取り付けた。

ここが私の想像力を越えるサバイバル術だ。指示に従ってエンジンをかけると、一発で始動した。おや、スモールランプがついてるぞ。原因はこれだったか。なにかの拍子にスモールランプをつけてしまい、それに気づかず夜になってしまったのだ。

 それぞれのバッテリーを元に戻したあと、後輩が「あたりを少しドライブしたら」という。ちょうど灯油が切れていたので買いに行った。戻ると、バッテリーにテスターの針を当てる。「もうちょっと車を走らせるといい」というので、後輩が帰ったあと、夏井川の堤防に出て、平・塩~鎌田から上神谷へと、平六小の学区内を巡った。

 後輩は木に登って枝と幹を切る。大量にマキを割る。広い面積の草刈りもする。そのための機械と道具をそろえている。

 わが家と夏井川渓谷にある隠居の木の剪定を引き受けてくれた。自走式の草刈り機を持参して、広い庭の草を刈ってくれた。後輩のウデの多彩さには舌を巻く。

昔、メキシコで水産関係の仕事をしていたという。コヨーテのいるメキシコの大平原で車が故障しても、日本のようにJAFは来ない、通りかかる(助けてくれる)車もない。自分で直すしかない。それでDIY(ドゥ・イット・ユアセルフ=自分自身でやる)のウデと精神を鍛えたのだろう。

 そういえば――。サハリン(樺太)とシベリア大陸の玄関口、ウラジオストク、ナホトカを旅したとき、道端で車のボンネットを開け、運転手自身があれこれやっているのを何度か見た。向こうの人たちは、車は自分で直すのが当たり前、そういう文化の中で暮らしているようだ。

つまりはDIY。私のようにすぐ「車のホームドクター」(独立開業したディーラー)に連絡するようなヤワなことはしない。いや、そんな身近な業者はいないのだろう。

これは、おべっかではない。後輩のような人間はたぶん、都会から遠く離れた里では当たり前にいた。今もいる。

哲学者内山節さんの、山里暮らしから生まれた思索の本を、30代から座右の書にしている。そこに山里の、平地の里の人間が持つ多彩なワザの世界が紹介されている。

後輩は農民であり、自動車整備士であり、木工職人であり、木こりであり、重機オペレーターでもある。夏井川渓谷の住民はプラス園芸家であり、釣り師であり、マツタケハンターであり、イノシシ解体師でもある。そういう人たちとの交流は、だからいつも刺激的だ。つい“取材”の対象にしてしまう。

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