東日本大震災と原発事故以来、いわきの地質や鉱物にくわしい知人と話す機会が多くなった。
3・11からちょうど1カ月後、いわき市南部を震源とする直下型の地震が2日続けておきた。3・11の「余震」ということだった。
最初は4月11日午後5時16分。2時46分に家で黙祷をした2時間半後、激しい揺れがきた。揺れているうちに停電した(1時間後には復旧)。外は雨、雷が暴れている。バキッ、バキッ。少し先で火花を散らす落雷を初めて見た。いわきの震度は「本震」と同じ6弱。天気もからめていうと、内陸部の人間には3・11より「地震・雷」の4・11の方が怖かった。
塩ノ平断層(田人の井戸沢断層の最も西側)と東隣の湯ノ岳断層(遠野~常磐)が動いた。2回目は翌12日午後2時7分ごろにおきた。これも震度6弱だった。
それから1カ月余りがたった5月下旬、前出の知人の案内で二ツ箭山の林道を歩いた。物の本によると、新第三紀の後半、二ツ箭断層を境にこの山の南側がずり落ちた。新第三紀は2303万年前から258万年前の間というから、約1150万年前から258万年前の間に大地の変動が起きたことになる。
林道の下方に断層の破砕帯がある。それを見た。昔、土石流も起きたはず、と知人はいう。そういう場所に、今は中腹まで人が住み、梨畑などが広がる。
繰り返すが、気象庁は4・11と翌日の地震を3・11の余震とみている。しかし、震源域から離れているので、「誘発地震」ではないかとする見方もある。知人も早い段階から異議を唱えていた。ただし、「誘発」についても疑問を持つ。定義を知りたい、という。
3・11から間もなく10年という2月13日深夜に福島県沖地震が発生した。これについても知人は同じく3・11の余震とする気象庁の見解には否定的だった。
「『余震』だと『本震』のなかに埋没して、たいしたことがないように誤解されてしまう。ほんとうの危険性が認識されなくなる」というのが知人の考えだ。
4月1日の気象庁の発表には、だから特に驚きはなかった。今後、東北の太平洋沖で発生する地震について、「東北地方太平洋沖地震の余震と考えられる」という表現は使わない――ことにしたそうだ。
ここでおさらい。3・11の地震名は「東北地方太平洋沖地震」。気象庁が命名した。私たちがふだん使っている「東日本大震災」は、閣議了解で決まった災害名。気象庁はあくまでも地震名で資料を発表する。
気象庁のホームページから報道発表資料「東北地方太平洋沖地震の余震域で発生する規模の大きな地震の報道発表資料での表現の変更について」をダウンロードして読んだ=写真。
「余震」を使わない理由は、①地震発生数が東北地方太平洋沖地震前の平均的な数に次第に近づいており、余震かどうかの判断が難しくなった②地震調査研究推進本部地震調査委員会の長期評価で想定されているような地震についても注意を払ってもらいたい――ためだとか。
将来発生する大きな地震・津波に備える防災的な意味合いを強く打ち出した、というわけだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿