きのう(4月27日)の続き――。田村郡小野町で磐越東線ギャラリーを見学し、渡久製菓で「ぬれ花まめ」などを買い、レストラン志木でハンバーグ定食を食べたあと、次の目的地・石川郡古殿町の道の駅ふるどの「おふくろの駅」を目指して国道349号を南下した。
国道349号は、浜通りの人間には縁がない。水戸市から宮城県柴田町まで、福島県内では阿武隈高地の西側、つまり中通りの山里を南北に貫く。いわき市では北西端の三和町上三坂地内をかすめて国道49号と交差する。
先週の日曜日(4月18日)、上三坂から平田村小平(おだいら)へ行くのに、この道を利用した。今度は小野町から上三坂を通り、小平へ折れずにまっすぐ南へ進む。
小野町といわき市の境あたりから路面が濡れていた。日曜日(4月25日)だったので、夕方、いつもの魚屋さんへカツオの刺し身を買いに行くと、「雷がすごかったですね」という。「雷?」。国道349号の路面が濡れていたのは、この雷雨が通り過ぎたためだったのか。
小平への交差点から先、古殿へ直進するルートはたぶん初めてだ。平田村から古殿町の境の峠まではなだらかなアップダウンが続く。同じ阿武隈の山里で育ったから、丘と水田だけの風景にも違和感はない。峠を越えると、ずっと下り坂だった。
鮫川に沿って形成された古殿の一筋町を貫くのは主要地方道(県道)いわき石川線、通称・御斉所街道。これと直角にまじわったあとは、しばらく国・県道が重複する。
町はずれに突如、スーパー(右側)と「おふくろの駅」(左側)=写真上1=が現れた。ときどき出かける道の駅よつくら港や同駅ひらたよりは規模が小さい。それでも、けっこう込んでいる。刺し身こんにゃくとシドケ(モミジガサ)、コゴミ(クサソテツ)などを買った。
古殿はいわき市の南部で太平洋に注ぐ鮫川の上流域だ。いわき民報で、いわき地域学會の仲間の協力を得て、週1回1年間、「鮫川流域紀行」を連載したことがある。そのとき一、二度、写真を撮りにカメラマンと古殿町や源流部の鮫川村を訪れた。「山学校」で古殿町の鎌倉岳(標高669メートル)にも登った。私のふるさとの田村市常葉町にも同じ名前の山がある。こちらの鎌倉岳は標高が967メートル。どちらも山頂の岩が天を衝いている。
道の駅で買い物をすませたら、あとは鮫川に沿って御斉所街道を下るだけ。10年前の東日本大震災からちょうど1カ月後、田人地区で直下型の地震がおきた。震度は3・11と同じ6弱。街道沿いの小集落などで山崩れが発生し、車で通行中の1人を含む4人が亡くなった。
いわき地域学會は大震災から1年半後に市内の被災地を巡検した。ハマの前に、ヤマの田人・石住地区で進められている防災工事現場を見た。崩落の規模の大きさに息をのんだ。御斉所街道を通るのはそれ以来だ。
古殿からいわきに入る。田人~遠野間では道路の大改造中だった。同街道はV字谷で、落石の危険個所が点在している。過去10年間だけでも3回、長期にわたって通行止めになったそうだ。
主に右岸に橋を架け、左岸にトンネルを掘って安定輸送ができるようなバイパス工事が進められていた=写真上2。
おととし、大水害を経験した夏井川では下流域で河川敷の土砂除去が行われている。鮫川では震災からの復興工事が続く。家にいて、ネットで情報を集めるだけでは現実との乖離(かいり)がおきる。やはり、ときどきは現場を見て、記憶を更新しないといけない。
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