2021年4月6日火曜日

残留コハクチョウが1羽

        
 3月のうちから初夏のような日になったり寒さが戻ったりと、年寄りには油断のならない天気が続く。

 新川が合流する夏井川下流、平・塩地内のハクチョウたちは3月の声を聞くと数を減らし、中旬には姿を消した。その上流、小川・三島地内のハクチョウたちも徐々に北へ飛び立った。

 3月27日の土曜日早朝、「朝めし前の土いじり」をしに、夏井川渓谷の隠居へ出かけた。途中、三島で小川江筋の取水堰(ぜき)に出合う。夏井川のカーブを利用した多段式、木工沈床の斜め堰だ。その上流が白鳥の越冬地。そこにたった1羽、ハクチョウがいた。右の翼が少しおかしい=写真。

 1週間後もいれば、けがをして飛べなくなったコハクチョウであることがはっきりする。おととい(4月4日)の日曜日朝、隠居へ行く途中に見ると、やはりいた。間違いない、けがをして残留したのだ。

 震災前の記憶がよみがえる。ざっと20年前、平・平窪の夏井川に、やはりけがをして残留したコハクチョウがいた。大水で流され、中神谷に下ってきた。それを不憫(ふびん)に思った対岸・山崎の故Mさんが毎朝、軽トラでやって来てえさ(古米)を与え続けた。左の翼がダメージを受けていたので、白鳥を守る会のメンバーやMさんは「左助」と呼んでいた。

左助が「呼び水」になって、その冬、ハクチョウが飛来し、夏井川第二の越冬地ができた。今は少し上流、新川が合流する塩地内で越冬する。ピーク時には200羽ほどが羽を休める。カモ類も安心してとどまるようになった。

 会社を辞めたあと、「在宅ワーク」を始めた。運動不足解消の意味もあって、朝晩、夏井川の堤防を散歩するようになった。Mさんは早朝、左助にえさをやる。私は同じ時間、左助の写真を撮る。やがてMさんとあいさつを交わし、情報を交換する間柄になった。

 そのころ、なぜかけがをして残留するコハクチョウが相次いだ。左助のほかに、「左吉」「左七」「さくら」。さくらは、秋には飛べるまでに回復した。

最古参の左助と若い左吉、左七の3羽は、夏も秋も夏井川を下ったり上ったりしながら、人間の視界のなかにとどまっていた。

ところが平成21(2009)年秋、異変が起きる。Mさんの話では、左助は夏井川河口から横川でつながっている仁井田浦のあたりに移動したあと、消息を絶った。ほかの2羽も前後して姿を消した。3羽とも獣に襲われたのではないか――Mさんが思い、私も納得して3年弱が過ぎた。

東日本大震災が発生し、津波が沿岸部を襲い、川を逆流した。それから1年5カ月後の平成24(2012)年8月、一度だけ左助が中神谷地内の夏井川に現れた。津波にも負けず、人知れず生きていたのだ。なにか熱いものが胸にこみ上げてきた。Mさんはそれより2カ月前に亡くなっていた。

三島の残留コハクチョウにはこれからどんな運命が待っているのか。だれかえさをあげる人がいるのか。それともどこかへ姿を消してしまうのか。私には日曜日に通り過ぎるとき、写真を撮ってやることしかできない。

そうだ、観察と記録を続けるためにも名前はあった方がいい。左助・左吉にならって、「右吉(うきち)」と呼ぶか。「右助(うすけ)」では、「まん防」(まん延防止等重点措置)と同じで語呂が悪いから。

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