2021年4月15日木曜日

半月早く糠漬け再開

                      
 この12年間の記録をチェックすると、白菜漬けから糠漬けへの切り替えが、5月の大型連休後から4月の連休前に早まっている。

4年前(2017年)はゴールデンウイーク中(5月3日)に、2年前(2019年)は4月の終わりに糠床の眠りを覚ました。

東日本大震災と原発事故が起きたときには、敬愛する内郷の「お姉さん」にならって冬も糠漬けを続けた。3・11後、9日間の原発避難から帰宅すると、糠床の表面にアオカビが生えていた。糠床は10日以上も酸欠状態だった。それで表面が腐敗したのだ。アオカビの層はまだ数ミリ程度だった。胞子が飛ばないように、お玉で糠味噌ごとアオカビをかき取ると、下には健康な糠味噌が残っていた。

糠漬けを始めてから、糠床をめぐるエピソードも集めるようになった。声優の大山のぶ代さんは俳優座養成所時代、母親の形見の糠床を守って貧乏生活をしのいだ。夏目漱石の家の糠床は江戸時代からの歴史を持つ。孫の末利子さんはその糠床とともに、「歴史探偵」の故半藤一利さんに嫁いだ。

作家梨木香歩さんも糠漬け文化と乳酸菌にはまった一人かもしれない。『沼地のある森を抜けて』という「糠床小説」を書きおろした。「その昔、駆け落ち同然に故郷の島を出た私たちの祖父母が、ただ一つ持って出たもの、それがこのぬか床。戦争中、空襲警報の鳴り響く中、私の母は何よりも最初にこのぬか床を持って家を飛び出したとか」

この庶民の食文化が、3・11では相当失われたのではないか。多くの人が原発避難をした。それぞれの家に受け継がれてきた糠床がそのとき消えた。私はそう思っている。

これは双葉郡の糠床が生き延びた一例。浪江町から東京へ避難した人がいる。一時立ち入りの際、家から糠床を持ち出した。冬場は食塩を敷き詰めて休眠させていたのだろう。東京へ持って行くのを断念して、いわきに住むいとこに糠床を託した。こちらは祖母の、そのまた祖母から続く糠床だという。

今年(2021年)は、いつもより半月は早く糠床の冬眠を覚ました。お玉で食塩の布団をはぎ、その下にある古い糠味噌も一部取り除いて、新しい糠を投入した。古い糠味噌には食塩が浸みているので、新しい糠をこね混ぜると少しはしょっぱさがやわらぐ。そこに、冷蔵庫に置き忘れて水分が飛んだキャベツ、大根、ピーマンを「捨て漬け」にした=写真上1。

一夜明けると、大根がしんなりしている。捨てるのはもったいない。そのとき、ピンときた。夏井川渓谷の隠居へ通い、家庭菜園を始めたばかりのころ、食生活研究家でミュージシャンの魚柄仁之介さん(1956年~)の本を読みあさった。

やはり、水分の飛んだ大根が台所にあった。それを糠漬けか浅漬けかにしたのだった。たくわんをつくるとき、大根を干す。原理は同じ。水分が飛んでいる分、簡単に、しんなり漬かる。

このエピソードを思い出した。食べるとあっさりした塩味だ=写真上2。酒のつまみになる。もう一晩おくと、少し塩分が濃くなっていた。こちらはご飯のおかずになる。大根は捨てないで全部胃袋に収めることにした。

朝起きると、まず糠床をかきまわす。食べ残したサケの皮や肉汁があれば、糠床に加える。それを続けていると、やがてその家独自の糠味噌の味になる。

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