手帳に書き込まれた予定は私的なものを除けば、1月が3日、2月が4日、年度末の3月はちょっと増えて10日だけだった。2年続きのコロナ禍で、年間を通して区内会関係の行事が減ったこと、いわき地域学會関係の催しも市民講座だけにとどまったことが大きい。
3月最後の10日間で「予定」なしで決まったものもある。去年(2020年)、いわき市民コミュニティ放送(FMいわき)の関係者と会ったとき、番組に出るように言われて了承した。その話が年度末になって急に進み、3月31日に最初の収録が行われた。
FMいわきの初代社長は、いわき地域学會の初代代表幹事の故里見庫男さん。仲間が、考古学や民俗学、文学、美術などそれぞれの専門分野を生かして番組づくりに協力し、出演した。今も何人かは出演を続けている。私も週1回、パーソナリティー相手にいわきの今のあれこれをしゃべる15分番組を持たされた。しゃべるのが苦手なので、2年ほどでやめた記憶がある。
それから何年がたつだろう。収録のためにFMいわきの駐車場に着くと、自宅でテレワークをするという旧知のスタッフとバッタリ会った。「十何年ぶりかな」「いや、そんなものじゃないですよ、20年以上はたってます」。こちらが驚いた。
あとで自分のブログで確かめたら、FMいわきは平成28(2016)年9月1日に開局20周年を迎えている。それからもう5年がたつ。つまり、23年ぶりの放送収録ということになる。
FMいわきと同じコミュニティメディアであるいわき民報に籍を置いていた。59歳で辞めたあと、しばらくは「締め切り」なしの生活を楽しんだ。が、1カ月がたち、2カ月がたつと、地に足がつかない感じになった。どうにも落ち着かない。
3カ月が過ぎたころ、「ブログ」という日記風のネット発信システムがある、やりませんか――若い仲間に誘われた。あとは文章を打ち込むだけでいい、というところまでセットしてもらった。
ブログ名は「磐城蘭土紀行」。宮沢賢治の「岩手=イーハトブ」にならい、「いわき=イワキランド」に見立て、司馬遼太郎の「愛蘭土(あいるらんど)紀行」を参考に、漢字だけで「磐城蘭土(いわきらんど)紀行」とした。
平成20(2008)年2月25日に始めて以来、現在まで13年余り、旅行あるいは原発避難などで家を離れたとき以外は、毎日文章を更新している。
いわき民報時代の新聞コラムと同じ感覚で書いているので、「ネットコラム」と称している。暮らしの中から埋もれているニュースを掘り起こすスタイルが性に合っていたらしい。併せて、「一日に一回締め切りを持つ」ことで、晩酌の量も抑えられる(書くのは晩酌を終えてからなので)。いわきの自然や人間にも関心が途切れないでいる。要するに、ブログを書くことで生活のリズムが守られている、ということだ。
去年(2020年)の5月中旬からは古巣のいわき民報が、「夕刊発・磐城蘭土紀行」と題して拙ブログを選んで掲載している。久しぶりに地域紙ならではの生の反応に接している。ネットと活字のメディアミックスだ。
FMいわき側も、メディアミックスでいきたい、という私の提案を受け入れてくれた。「FM発・磐城蘭土紀行」である。私のなかでネットと活字と電波がクロスした。
放送は週1回、3カ月――ということで、朝9時半からの「いわきの人・まち・文化」の金曜日「まちの横顔」というコーナーに出る。PR紙=写真=の番組表によれば、再放送は月曜日朝6時。初回は4月2日に放送された。番組で使う音楽は?アイルランドのエンヤを希望した。
この日、つまりきのう、私は用事があって聴けなかったので、カミサンが代わりに聴いた。あれこれいわれたが、「まあ及第」だったそうだ。
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