「花よりだんご」は、若いときには「確かにそうだよな」だった。花見を名目にして酒を飲む。酒を飲めればよかった。酒とつまみ、それが私の「だんご」。
それから長い年月が過ぎ、夜遅くまで飲み続ける体力も気力も衰えた今は、サクラの「花」に合わせた「だんご」は山菜、そしてキノコ。
キノコ?と思うかもしれないが、いわきでは4月、サクラの樹下などにアミガサタケが現れる。フランスでは「モリーユ」。高級食菌だ。
日曜日(4月4日)、夏井川渓谷の隠居へ行って最初にしたのは、庭にあるシダレザクラの樹下をチェックすることだった。シダレザクラの花はもう六分咲き。フェイスブックの“キノコ情報”によると、西日本ではとっくにアミガサタケが出ている。季節は、いつもより半月は早く巡っているようだ。アミガサタケが出てもおかしくない。が、まったくその気配はなかった。やはり、花が散ったあとか。
アミガサタケをチェックするそばで、カミサンは庭のツクシを摘んだ。ツクシは酸性土壌によく生える。隠居の庭はツクシの宝庫だ。菜園ではやっかいものでしかないが。
ついでに断っておくと、東日本大震災と原発事故のあと、隠居の庭は全面除染の対象になり、表土を入れ替えた。それで食べられるキノコやツクシの話をしている。
その晩、カミサンがツクシの酢味噌和えをつくった。最初は頭も付いていた。頭が大きくなったものは苦い。胞子ができているかもしれない。頭は取った方がいいというと、茎だけになって出てきた=写真上1。シャキシャキしてうまかった。
毎年春にはツクシを食べてみたいという気持ちになるのだが、茎のはかまを取るのが面倒なので、いつも空想するだけに終わっていた。カミサンもはかまを取るのには手間取ったようだ。籠(かご)にいっぱいあったのが、調理すると両手に載るくらいの量に減ったという。
ツクシを食べるのはたぶん、所帯を持ってからは初めてだ。子どものころのことはよくおぼえていない。毎年、ツクシを食べる人はこのシャキシャキ感がたまらないのだろう。これもまたフキノトウ同様、春の土の味だ。
確か中原中也の詩にミツバのおひたしが出てきたはずだ。検索すると、「ホラホラ、これが僕の骨だ」で始まる「骨」にあった。「生きていた時に、/これが食堂の雑踏の中に、/坐っていたこともある、/みつばのおしたしを食ったこともある、/と思えばなんとも可笑(おか)しい。」。「おしたし」とあるのがいい。
この日ばかりはカツオの刺し身ではなく、ツクシとミツバが“主役”になった。カネでは得られない“口福”。年寄りは「花もだんごも」だが、「だんご」はほんの少しでいい。
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