2021年4月24日土曜日

根室が舞台の少年小説

                          
 いわきとの縁が深い作家、故真尾悦子さん(1919~2013年)から、生前、よく自著の恵贈にあずかった。『オレンジいろのふね』(金の星社、1986年第2刷)=写真=も、そうしてちょうだいした。

小2の「たかし」が主人公の、北海道・根室を舞台にした少年小説だ。父親は漁船の乗組員。太平洋のど真ん中へ漁に出て何十日も帰らない。その船が魚を積んで日曜日未明に帰港する。市場は休みだ。小説では、父親との再会、朝の豪勢な食卓、翌日の荷揚げと市場への運搬までが克明に描かれる。

「あとがき」に真尾さんが書いている。「3、4年前から、私は、たびたび北海道の漁村をたずねていました」。自著の『海恋い――海難漁民と女たち』(筑摩書房、1984年)の取材時期と重なる。

「2月の夜でした。シバレる(とても寒い)野外で、子どもたちが、先生といっしょにスケートをしていました。たのしそうでした。みんなの眼が、いきいきと輝いているのに、びっくりしました」「どの子も、おうちの手つだいをします。岸壁でリヤカーもひきます。やっぱり、きらきらと眼を輝かせているのです」。『海恋い』取材の過程で元気な子どもたちに引かれ、作品を着想したのだろう。

 枕元に何冊か積み重ねておいたなかに『オレンジいろのふね』があった。睡眠薬代わりに、とっかえひっかえ読む。読み始めるとすぐ睡魔が降りる。それこそ半年、いやそれ以上、枕元に置いたままだった。

何冊か取り替えたときに、真尾さんの作品だったことを思い出して、日中、一気に読み終えた。

度重なる北海道行については『海恋い』の「あとがき」に詳しい。漁村の女性の日常を知りたくて、いわきの浜で取材を重ねているうちに、「同じ船で夫を亡くした人、ふたりと知り合い」になる。

「北海道花咲沖で遭難した大型漁船が、船ごと、乗組員26人行方不明のまま、6年経っていた。しかし、未亡人たちはいまでも夫の死を信じてはいない」。その後、真尾さんは「見えない糸に引っぱられて花咲港へ通い」続け、『海恋い』を仕上げる。

 知り合った未亡人2人のうちの1人が、のちに職場を共にする後輩の母親だった。彼女も母親とともに真尾さんと交流があった。

 海難事故は昭和47(1972)年3月31日早朝、北海道の花咲沖で起きた。いわき民報は同日付で第一報を打ち、翌4月1日付で詳報を伝え、以後、同14日の合同慰霊祭まで関連報道を続けた。遭難したのは小名浜漁協所属の遠洋底引漁船で、乗組員26人の多くは山形県人、いわき在住者は4人だった。後輩の父親は当時38歳の機関長。後輩はまだ10歳にも満たない小学生だったか。

 その後輩から先日、電話がかかってきた。「根室新聞が3月31日で休刊になりました。友達が働いていました」

 根室新聞は創刊が昭和22(1947)年1月。いわき民報よりおよそ1年後発だが、同じ地域紙として70有余年の歴史を持つ。北海道新聞などによると、「記者人材の確保が困難になった」ことと、「地域の人口減、コロナ禍による広告収入減」が休刊の引き金になった。

このところ、ずっと北海道東端の歯舞(はぼまい)や花咲、根室市のことが頭をかけめぐっていた。根室新聞は事実上の廃刊らしい。

活字メディアは厳しい環境にある。頑張っている全国の地域紙に、ささやかながらエールを送る。

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