コロナ禍の巣ごもりだけではストレスがたまる。いや、ますます社会や自然と縁遠くなる。足の筋力維持と野草ウオッチングを兼ねて、車で石森山へ出かけ、遊歩道を散歩することを始めた。大型連休中も3回、遊歩道に入った。森の中でも人とすれ違うかもしれないので、マスクは欠かせない。
石森山は「生活環境保全林」に指定されている。山の上に市フラワーセンターの花壇が広がる。周囲の尾根や沢筋には遊歩道が張り巡らされている(17コースある)。
「みどりの日」(5月4日)。同センターの駐車場は満パイだった。遊歩道には、ふだん人はいない。孤独な散歩を楽しんでいるが、さすがにこの日は緑と親しむ人が遊歩道を巡っていた。マスクをかけた1人とすれ違い、2人を遠目に見た。
一本の遊歩道を最初から最後まで歩き通すような体力はない。入り口から30~50メートル入って引き返す。それでも、木の幹や若葉、野草をじっくりながめると、気持ちが落ち着く。
主に30代のとき、この山の遊歩道を巡り続けた。40代になって、夏井川渓谷の隠居へ通うようになると、自然と足が遠のいた。コロナ禍の森の散歩は、忘れていた草花を思い出すいい機会になった。
「現場」の記憶は「現場」に立つと細部までよみがえる。そのあらわれ方は二つ。「個体」か「環境」だ。個体はそれぞれの野草の名前と特徴を、花を見て思い出す。環境は、たとえば、「ここではニワトコの立ち枯れにアラゲキクラゲが生えていた」「ここの倒木にオオゴムタケが生えていた」といったようなことだ。
当然ながら、何十年も過ぎれば、立ち枯れの木は菌類に分解されてない。そのあとに若い木が生えている。残念ながら名前がよくわからない。自然は絶えず変化・流動しながら安定を求める。
久しぶりに出合った花たちを二つ紹介する。フデリンドウ=写真上1。あるところに、青い金平糖のようにちらばっていた。フデリンドウとよく似た花にハルリンドウがある。一つの花茎の先に数個の花を咲かせていたら、フデリンドウ。フデは筆。花を閉じると筆の穂先のように見えるという意味で、漢字では「筆竜胆」と書くらしい。
葉の中央に小さな花を付けているのはハナイカダ=写真上2。雄花(おばな)と雌花(めばな)がある。雄花は数個、雌花は1~2個。写真の花は雄花ということになる。
若いときはギンランとキンランにも出合った。それが見当たらない。福島県レッドデータブックでは、ギンランは準絶滅危惧種、キンランは絶滅危惧Ⅱ類に分類されている。なぜそうなったのかははっきりしている。乱掘だ。
ラン科の花の代わりに、今では懐かしい動物を――。石森山までの道沿いに1匹、ヤギがいた=写真上3。ロープが長いので放し飼いに近い。先日は田んぼの土手の草をむしゃむしゃやっていた。こうなると、生きた草刈り機だ。人ではなく、野草やヤギに出合う。こういう外出は思っている以上のストレス解消になる。
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