2021年5月2日日曜日

『いわきの産業復興』

                                 
 今年(2021年)は常磐炭砿の磐城砿業所閉山から50年、そして東日本大震災・原発事故から10年――。

さらに、企業への支援を行ってきた公益財団法人いわき産学官ネットワーク協会の設立から15年だという。

同協会の設立15周年記念誌『いわきの産業復興~石炭産業の衰退と東日本大震災を超えて~』=写真=の恵贈にあずかった。同協会の荒木学・事務局次長(現市商業労政課長)が執筆した。

 鉱業から工業へ、臨海部の素材型産業から内陸部の加工組立型産業へ、さらに円高・バブル経済崩壊からの地域経済活性化と原発震災からの復興へ、というのが、いわき市の近代産業の大まかな流れらしい。

著者は災後、延べ900社を超える市内企業を訪問し、経営者からヒアリングをした(あとがき)。この徹底した聴き取りを基にして、『いわきの産業復興』が書かれたといってもよい。私にはとりわけ、第3部の「いわきの農業復興」が興味深かった。それに絞って書く。

原発震災の前年、市が在来作物発掘調査事業を始めた。たまたま夏井川渓谷の隠居で在来作物の「三春ネギ」を栽培していたので、当時、農業振興課の園芸振興係長だった著者と、広報広聴課の女性がわが家へ取材に来た。

「近年、食の安全・安心や地産地消への関心が高まり、伝統的な食文化を見直す動きが広まっています。このような中、市では、地域に伝わる昔ながらの在来作物を次世代へ継承するための取り組みを進めています」

「広報いわき」2010年8月号に、「いわきの伝統農産物を次世代へ」という特集が載った。その一環だった。

以来、いわきの「昔野菜」(伝統農産物)事業とかかわりをもち、「いわき昔野菜フェスティバル」に参加し、「いわき昔野菜図譜」に毎回、「はしがき」を書いた。

1回目のフェスティバルのおよそ1カ月半後に原発震災がおき、福島県内の農産物が風評被害に見舞われた。

そのあと、ネットメディアのJ―CASTニュースが「被災地からの寄稿」を始めた。【福島・いわき発】として拙ブログがときどき載った。その橋渡し役をしてくれたのが著者だった。

やがて、画期的な見える化プロジェクト「見せます!いわき」が始まる。『いわきの産業復興』のなかで、詳しく振り返っている。

「見せます!いわき」では、①何を言われても、関東以北の野菜は買いたくない②安全性が心配なので、避けるようにしている③気にしない、むしろ積極的に買う――のうち、②の消費者を対象に、情報を発信した。

 ②の層は「鵜吞みにしない」「『規制値以下』というだけでは安心できない」「判断がつかないから買わない」のであって、判断材料になるような情報(データ)を「見せる」ことで気持ちが動き、いわき産の野菜を買ってもいい、となるかもしれない。そこを目指した。

農業から始まった風評払拭への、この取り組みは、グッドデザイン賞を2回受賞するほどに高く評価された。

 農業その他の産業だけでなく、われわれ市民の普通の暮らしを“蘇生”させるためにも、この情報発信は必要だった。当時を振り返ると、行政も、被災地支援に入ったNGO(たとえば、シャプラニール=市民による海外協力の会)も、市民も、復旧・復興へ動いた人はすべて「戦友」――そんな思いになる。

昔野菜事業を始めていたからこそ、いわきでは災後、生産者と料理人、消費者のつながりがいちだんと強まった。それがまた復興への歩みを確かなものにした――そんな思いもよぎる。

個人的には、原発事故で「三春ネギ」の栽培を中断するわけにはいかない、地域の宝である「種」を切らすわけにはいかない――そんな覚悟で過ごした10年間でもあった。

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