新聞読者を少しでも獲得する手段として、全国紙・県紙などでは「7日間無料試読」キャンペーンを繰り広げている。これもまたそれに近いサービスなのかもしれない。直接には購読に結びつかなくても、めぐりめぐってつながりは深まっていく。
日曜日の朝、夏井川渓谷の隠居へ行くと、玄関と雨樋のすきまに新聞がはさんである=写真。旧知の新聞販売店主の“差し入れ”だ。
コロナ禍の前、初夏か秋には必ず同級生が集まって、泊まり込みでワイワイやった。庭に車が止まっている。それが、人がいるサインだ。朝起きると、玄関の前に新聞が置いてある。これは今も変わらない。
大型連休中に下の息子が友達と泊まった。朝、カミサンが電話をした。やはり、玄関と雨樋の間に新聞がはさまっていたという。中に取り込むように、もちろん読んでもいいから、と伝える。
車がなくても日曜日に新聞を置いていくようになったのは、たぶん私が古巣のいわき民報に「夕刊発磐城蘭土紀行」を載せているからだ。「日曜日は夏井川渓谷の隠居で過ごす」。ときどきそんな文章を入れて、渓谷での土いじりの様子などをつづっている。
私は、家では全国紙と県紙、いわき民報ほか1紙をとっている。新聞販売店主が扱っているのは別の全国紙と県紙だ。いわき民報も配達している。その関係で私が現役のころから知っている(もう10年以上、会ってはいないが)。
40代半ば、義父が建てた隠居の管理人を引き受け、土曜日には「週末別居」と称して、一泊二日の渓谷暮らしを始めた。やがて3週間に1回、「アカヤシオの谷から」と題して、古巣のいわき民報で連載を始めた。渓谷の自然や人々の暮らしをマチの人に伝えるのが目的だった。
それがきっかけだったか、その前からだったかは、今となっては定かではない。日曜日には玄関の外のイスに新聞が置かれるようになった。隠居のある小集落が店主の配達エリアの北端だった。
要するに、渓谷へ通い続けているこの四半世紀の間、古巣で「アカヤシオの谷から」を連載し、去年(2020年)はまた「夕刊発磐城蘭土紀行」を始め、そのなかで時折、「新・アカヤシオの谷から」を載せているためのつながり、と受け止めている。
現役のころは全国紙2紙、県紙、週・月刊誌など計7紙(誌)をとっていたが、年金生活に入ってからは徐々に減らし、今は新聞4紙(1紙は週刊)・月刊1誌にとどめている。
隠居で、しかもふだんと違う全国紙と県紙を読むのは新鮮だ。特に、レイアウト。こちらの県紙は昔からレイアウトが斬新だった。スポーツ紙ほどにはくだけずに、一般紙としての品位を保っている。文化欄などの中面も読み応えがある。企画にも柔軟さが感じられる。
日曜日ごとに差し入れの新聞を読んでいると、心が動く。しかし、購読紙を増やすわけにはいかない。その葛藤のなかで、まずは店主に感謝する。そこから渓谷の一日が始まる。
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