息子の家から要らなくなった孫の運動靴や本が届いた。靴はリサイクルに回す。カミサンの「お上がり」になるものもある。本は2冊を除いて、「10歳までに読みたい世界名作」シリーズの7冊だ=写真。『西遊記』『ロビンソン・クルーソー』『海底二万マイル』のほかに、『怪盗アルセール・ルパン』と「シャーロック・ホームズ』があった。
40代のとき、池波正太郎の『鬼平犯科帳』や『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』を読み耽った。矛盾に満ちた人間模様が描かれる。なかでも火付盗賊改役長谷川平蔵の名ぜりふには感じ入った。「人間(ひと)とは、妙な生きものよ。悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事をはたらく」
同じころ、文庫本でコナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ』シリーズを読んだ。事件を解明するのに必要なものは推理力と分析力。ホームズはそれがずば抜けて高い。
新聞記者になるとすぐ「サツ回り」をさせられる。事件・事故を取材しないといけない。交通事故の場合、警察発表を「5W1H」(いつ・どこで・だれが……など)にはめこめば、それなりに記事は書ける。
ところが同じ事故でも、時間や場所や人が違う。原因が「前方不注意」でも、注意力をそいだものは人によって異なる。睡眠不足からきているかもしれない。職場内のトラブルが尾を引いていたかもしれない。記者には一歩踏み込んだ水面下での取材、推理力が必要になる。
そんな思いが新米記者のときにあったので、記者の原稿をチェックする立場になると、さらに自分の感覚を磨かないといけない、という気持ちがふくらんだ。
ひとつは必要から、もうひとつは楽しみから。鬼平やホームズに親しんでみると、そうでないときのコラムとはだいぶ違うものになった。「ねばならない」から「かもしれない」に変わった、といってもよい。鬼平やホームズは記者の必読書――現役時代にそんなことを思ったものだ。
リサイクルに回す前に、「お上がり」本のホームズを読んだ。「犯罪の天才」モリアーティー教授と格闘し、2人ともスイスの山の滝から転落して姿を消す。これが「ホームズ最後の事件」。
ところが、「おどる人形の暗号」でホームズが3年ぶりに人の前に現れる。滝から転落したのは教授だけだった。2人は崖っぷちで取っ組み合う。教授がつかみかかろうとすると、ホームズはとっておきの技(「バリツ」という日本の格闘術)を使って身をかわす。教授はバランスを失って滝壺へ――ということが明かされる。
バリツ? ネットで検索すると、「架空の日本武術」とあった。ブジュツの英語表記の誤記、その他の説があるようだ。シャーロキアン(ホームズの熱狂的ファン)ならではの熱い探究心ではある。そもそもホームズが復活したのも、シャーロキアンの強い要望があったからだとか。
まずは観察すること。それから推理し、分析しながら思考を積み重ねること。慎み深く、考え深くあるためにはどうしたらいいか――これを、ホームズは楽しませながら教えてくれる。
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