2021年5月8日土曜日

十念・仏画・仏具

                     
   いわきの歴史研究家、故佐藤孝徳さん(江名)が平成7(1995)年に『浄土宗名越派檀林専称寺史』を出版した。校正を担当した。

平山崎にある同寺は江戸時代、東北地方を中心に末寺が200を越える大寺院だった。同時に、主に東北地方からやって来た若者が修学に励む“大学”(名越派檀林)でもあった――。

寺の歴史や浄土宗名越派の教えなどを学ぶいい機会になった。名越派の教えの根本は「一念業成(いちねんごうじょう)」。同書によれば、「ただ一念でも念仏する者があれば阿弥陀さまの計らいにより救ってくだされる」という立場だ。「一念」とは1回、「南無阿弥陀仏」を唱えることをいう。

今は「多念業成(たねんごうじょう)」が浄土宗の根本的な教えになっている。というより、ずっとそれが主流だったのだろう。同書によると、多念業成は「多くの念仏を唱えることにより往生ができる」という考え方だ。

なぜ浄土宗の教えから入ったかというと、次のようなことを体験したからだ。東京出身の陶芸家緑川宏樹さん(1938~2010年)の墓の開眼式と納骨が3月下旬、いわき市常磐湯本町三函の浄土宗惣善寺(森大岳住職)で行われた。そのとき、参列者が住職から「十念」の発声の指導を受けた。「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、……」を10回唱える。つまりは多念。はからずも孝徳さんの本を思い出したのだった。

同寺には岩手県出身の画家松田松雄さん1937~2001年)の墓もある。緑川・松田さんは市民団体「いわき市民ギャラリー」を組織し、同じ画家の若松光一郎さん(1914~95年)を先頭に、市立美術館建設運動を推進した。寺の近くで生まれ育った若松さんもこの墓地に眠っている。

私が高専に通っていたころ、若松さんは美術の先生だった。ときどき先輩たちと自宅へ遊びに行った。松田、緑川さんとは新聞記者になってから、たびたび顔を合わせた。孝徳さんともいわき地域学會の集まりでよく会った。

アフターファイブになると、画家も陶芸家も新聞記者もない、しょっちゅう草野美術ホールや画廊喫茶「珈琲門」に集まっては飲んで話したものだ。

住職の十念に合わせながら、若松、緑川、松田、孝徳さんの顔が走馬灯のように現れては消え、消えては現れた。

住職は若いころ、松田さんと緑川さんに師事した。その縁だろう。本堂に松田さんの絵=写真上1=と緑川さんの陶器=写真上2=が飾られていた。お寺に飾られると、絵は「仏画」になり、陶器は「仏具」になるのだという。なるほど。

それから早くも1カ月余がたつ。松田さんの娘の文ちゃんが告知していたが、盛岡市の岩手県立美術館では、この大型連休中にコレクション展「第1期 特集:没後20年 松田松雄」が始まった(7月18日まで)。「没後20年」という言葉に実は驚いている。もうそんなにたつのか。

6年前、同美術館で松田さんの回顧展が開かれたときには、東北新幹線を利用して日帰りで出かけた。岩手の人もそうでない人も、機会があればぜひ同美術館へ。

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