2021年5月6日木曜日

渓谷の緑の中に

        
 ゴールデンウイーク(大型連休)がきのう(5月5日)で終わった。ビフォー・アフターでいうと、わが生活圏にある「神谷耕土」では、田んぼに水が入り、代かきが行われて、日ごとに青田が増えた。ここは田植えが早い方だろう。

大型連休といっても、いつもの生活パターンの繰り返しだった。結果的には、コロナ感染防止一斉行動と一致した。去年(2020年)までと違うのは、車で10分ほどの石森山へ出かけて、遊歩道を散歩するようになったことか。大型連休中も3回行った。4月28日にも行った。

日曜日は夏井川渓谷の隠居で過ごす。そこへの行き帰りだけでも、ビフォー・アフターがはっきりしている。5月2日の日曜日。渓谷の江田でも田植えの準備が進められていた。平窪は? ここはわりとゆっくりのようだ。4月最後の日曜日、水が入った田は何枚あっただろう。今度の日曜日にはだいぶ青田になっているにちがいない。

田植えは、昔は梅雨期の6月にした。農家の最大の営みがゴールデンウイークに前倒しされるようになった。この時期、自然の営みも冬枯れの山が鮮やかな緑一色に変わる。これも劇的だ。

いわきを丸かじりするには、人間だけでなく自然も知る必要がある――そう自分に言い聞かせて、若いときからいわき地域学會の仲間や、それぞれの研究者に接触して、野鳥や野草、キノコについて学んできた。

おととい(5月4日)は「みどりの日」。きのうは「こどもの日」、そして「立夏」。渓谷は春の「山笑う」状態を過ぎたが、夏の「万緑」にはまだ早い。

「『山笑う』のあとはなんだっけ?」。カミサンにいうと、やはり「なんだっけ」。「山粧(装)う」がある。「山眠る」もある。「山粧う」は秋のようだが、夏は忘れて出てこない。ネットで検索したら、一発でわかった。「山滴る」だった。

ウィキペディアなどに従って出典を記すと――。北宋の山水画家・郭煕の画論「画游録」に、それが出てくるらしい。「春山淡冶(たんや)にして笑うが如く、夏山蒼翠(そうすい)にして滴るが如く、秋山明浄にして粧(よそお)うが如く、冬山惨淡(さんたん)にして眠るが如く」

春夏秋冬の本質を「笑う」「滴る」「粧う」「眠る」と端的に表現するあたり、さすがは漢字の母国、というほかはない。

 去年(2020年)の8月、緑滴る山のあちこちに「ナラ枯れ」の“茶髪”があらわれたときには、目が点になった。

 秋になると、また驚いた。落葉樹は秋、葉柄の根元と枝の境目に離層ができて、葉柄ごときれいに枝から葉が落ちる。ナラ枯れの木はこれができない。いつまでも葉柄が枝に付いている。そのうち枯れて乾いた葉が強風に引きちぎられる。

それから年が新しくなり、「山滴る」初夏に変わった。周りは緑一色。ところが、そこだけポツンと穴が開いたように枯れたままの木がある=写真。去年のナラ枯れの木だ。

犯人は体長5ミリほどの小さな昆虫・カシノナガキクイムシ。雌が雄に誘われて大径木のコナラなどに穿入(せんにゅう)し、産卵する。卵からかえった幼虫が孔道の掘削作業を続ける。と、木はあっという間に通水機能を失って枯死する。幼虫はその後、孔道内で成長・越冬し、6~8月、新成虫として一帯に散らばるという。間もなくその時節を迎える。

またコナラなどの大木が枯れるのかと思うと、ため息が出る。「山笑う」と「山滴る」の間には、「山悲しむ」あるいは「山憂う」もあった。

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