いわき市好間町川中子(かわなご)出身の詩人猪狩満直(1898~1938年)の詩碑が、開拓農民として暮らした北海道の阿寒郡阿寒町(現釧路市阿寒町)の農村公園と、生家が移築されたいわき市暮らしの伝承郷の「猪狩家」前庭に立つ。
満直生誕100年、没後60年に当たる平成10(1998)年、いわき地域学會初代代表幹事・故里見庫男さんが中心になって市民に寄金を呼びかけた。
記念の冊子を編集した縁で、満直のお子さんたちと知り合った。以来、次男の洋さん、三女住子さん、四女光代さんにはなにかと目をかけてもらっている。去年(2020年)は住子さんを介して洋さんから満直自筆の絵はがき=写真上=が届き、今回はまた洋さんのエッセーが載った同人誌「別嬢」=写真下=の恵贈にあずかった。
「生い立ち」で、洋さんは北海道で生まれた自分の半生を振り返っている。戦後、洋さんはいわきから上京し、町工場で働いたあと起業した。今は羽田空港近くの工業団地に移転して、2人の息子が経営を引き継いでいる。
「縁の妙」では、東京中小企業家同友会の賀詞交歓会に北海道の経営者が加わり、洋さんが生まれ故郷(北海道)と父親の話をすると、「エッ、何満直(マンチョク)さんの次男だって」とびっくりされた話を紹介している。中の一人が、北海道を代表する詩人更科源蔵と交流があり、その縁で更科の親友である満直を知っていたのだった。
ほかにも、旋盤工にして作家の小関智弘さん(1933~)との親交、父・満直と草野心平、吉野義也(三野混沌)・せいとの交流に触れながら、小関さんに『猪狩満直全集』を贈ったこと、小関さんはせいの『洟をたらした神』を読んでいたことなど、興味深い話が続く。
さらに、満直と宮沢賢治との、同人誌「銅鑼」でのつながり、賢治の死を知ったときの哀悼短歌三首を紹介している。「歳若き北なる友の逝きしといふ 悲しき報せ馳せ来たりけり」「友の訃の封書掌になし み上ぐるに一片の雲の空にまよへる」「逝ける君 君に贈らん辞(ことば)なし 只目をつむり衿を合はする」
賢治の没後、遺言によって「国訳妙法蓮華経」がつくられ、賢治の弟清六から満直に贈られた。2年半前、いわき市立草野心平記念文学館で開館20周年を記念する秋の企画「生誕120年記念猪狩満直展」が開かれたとき、目にして2人の絆の強さを実感した。
賢治の童話をむさぼり読んでいたころ、小関さんのルポ作品『春は鉄までが匂った』にも感銘を受けた。町工場のものづくりを生き生きと伝えた代表作で、春になるとときどきこのタイトルが頭に浮かんだ。洋さんと小関さんの絆、これもまた私には「縁の妙」に思えた。
0 件のコメント:
コメントを投稿