先日、朝日新聞福島版に田村市都路町の「方言かるた」の記事が載った=写真。「年々、若い世代で方言が使われなくなり、このままでは方言が消滅してしまうのではないかという心配が大きくなってきた」。で、都路民話の会が文化庁の支援を受けて「都路方言かるた」をつくったのだという。
「か」と「へ」の2つが紹介されていた。「かんかぢ しっちまった(やけどしてしまった)」「へっついの
わきで ねごねでる(かまどのそばで猫が寝ている)」
都路、かんかぢ――とくれば、幼いときの実体験そのものだ。阿武隈高地の鎌倉岳のふもと、都路村(当時)北西端の小集落に母方の祖父母の家があった。この家で「かんかぢ しっちまった」のだ。
母親に連れられて泊まりに行った3歳か4歳のころ、夕食を食べようというときに、垂れていた浴衣のひもを踏んで囲炉裏の火に左手を突っ込んで大やけどをした。
翌朝、知り合いの車だかバスだかは覚えてないが隣町のわが家へ戻り、診療所へ連れていかれた。それからしばらく通院した。担当の医師は「塚原先生」。軍医だったとかで、癒着した小指と薬指を麻酔なしで切開した。痛くて泣きたかったが、親と泣かない約束をしていたので我慢した。
通院の楽しみは、小瓶(注射液)の入っていた小さな空き箱をもらうことだった。クレヨンの入った箱と違って、薬の空き箱は色も形も変わっている。なにかに好奇心を持った始まりはこれだったかと、今にして思う。
中学生になってギターを弾くのを覚えた。やけどをした指で弦を押さえるのに少し苦労した。アヒルの水かきのように、小指と薬指のまたが通常より1センチ以上も癒着している。それで、指がちゃんと開かない。30代のときに5ミリほど切開したが、ギターが上達することはなかった。
さて、と思う。「かんかぢ しっちまった」祖父母の家だが、外観と間取りを今でもありありと覚えている。国道288号から坂道を上って右に曲がり、畑(あとで田んぼになった)の真ん中にある小道を行くと、少し高くなったところにかやぶき屋根の家がある。それが祖父母の家だ。
平屋だった。戸を開けるとすぐ逆L字の土間があり、座敷には囲炉裏が設けられていた。
ご飯は囲炉裏の周りに陣取って、めいめい箱膳で食べた。箱膳は座敷の北隣、薄暗い板の間の戸棚に入っていた。食べ終わると茶わんにお湯を注ぎ、たくわんで茶わんの内側をきれいにする。終わったらたくわんを食べてお湯を飲む。それで“茶わん洗い”をすませて、また戸棚に戻す。
祖父の記憶はただひとつ。戸棚のある部屋で、病気で寝ているのを見ただけだ。それからほどなく亡くなったようだ。小学4年生になると、もう「ばっぱの家」になっていた。祖母に初めて通信簿を見せに行った。
そうそう、都路方言かどうかはわからない。が、都路で地吹雪に見舞われたことがある。そのとき、祖母かだれかが「ふぎらんぷ」といった。その言葉を今も覚えている。大人になって、「ふぎらんぷ」をどう解釈したものか、考えたことがある。吹雪プラス乱舞、つまり乱舞するような猛烈な吹雪? 答えは今も出ない。
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