いわき市の詩人木村孝夫さんは、2011年3月11日の東日本大震災とそれに伴う原発事故以来、震災詩を書き続けている。この春には詩集『言霊(ことだま)』(純和屋)=写真=を出した。
2部構成だ。前半で3・11から9年間の作品を載せ、後半で10年目の作品を収める。
死者と行方不明者、生きている人間の「魂」の問題に焦点を当てる。津波で失われた命、原発事故で突然、奪われた日常。なかでも、「文明の災禍」(内山節)によってふるさとを追われ、コミュニティを寸断された人々の内面に思いを寄せる。
震災詩集としては、『ふくしまという名の舟にのって』(2013年)から、『桜蛍』(2015年)、『夢の壺』(2016年)、ポケット詩集『私は考える人でありたい――140文字の言葉たち』(2018年)、同『六号線――140文字と+&の世界――』(2019年)、『福島の涙』(2020年)と続き、7冊目の詩集ということになろうか。
10年目の作品、「墓じまい」には原発難民となった人間の、先祖との対話がつづられる。「ご先祖様に/一人一人聴いていった/墓石に刻んだ日付の順に/名前の漏れがないことを/確認しながら//『墓じまい』をしても/良いでしょうか?/人が住めない場所に/ご先祖様を置いておくことは/耐え難いのです」
仮設住宅を経て新しい町に移り住んで7年。墓に手を合わせながら、何度も頭を下げる。夢の中で「大ご先祖様」のかすれた声が聞こえる。それで「古里の『墓じまい』をした/背中に重いものを背負って/魂を読経に載せて/新しいお墓へと案内した」
再び「夢の中で大ご先祖様の/笑顔に出会った/みんな住み心地は良いという//やっと『墓じまい』は/終わった/自分も入るお墓のご先祖様とは/仲良くやっていける」。それから眠れない夜が少なくなり、少し饒舌になった、笑顔も多くなった。それに続く最後の詩行。「でも、もう古里には帰れない」
先祖伝来の家と土地に住んでいた人間にとっては、死者もまた家と家族と共に生きていた。理不尽にも家と土地を追われ、帰ることがかなわなくなった人間には、ふるさとに残してきた死者(先祖)に対するすまなさ、墓参りも埋葬もできないいらだち、悲しさが募るばかりだ。それを解消するためにやむを得ず墓を移転する。墓がなくなれば、ふるさとはふるさとでなくなる。少なくとも地理的には縁が切れる。
月遅れ盆の今だからこそ胸に響く詩もある。「行方不明者の名簿に/二本線が引かれる日を/十年間も待ってきた/だから、魚になってでも/泳いで帰る/釣り上げられる/口はなくてもいい/骨の姿が残っていれば/新しくした仏壇は/魂の座る場所/いつまでも空けておけない」(「帰る」)
地域には地域固有の課題がある。福島県浜通りはこの10年、自然災害(地震・津波)と文明の災禍(原発事故)からいかに復興するか、が課題だった。
が、「魂の復興」はどうか。「水俣病」と向き合って創作活動を続けた石牟礼道子さんと同じように、木村さんは「原発震災」と向き合い、そこから立ち昇ってくる「言霊」を文字化する。震災詩を書く旅はたぶん、まだ終わらない。
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