夏至からすでに40日余り。朝4時に起きると「もう明るい」から「ちょっと部屋が薄暗い」に変わった。しかし、日中の暑さはむしろピークを迎えている。家の外も中も、とにかく暑い。静かにしていても汗がにじむ。
オリンピックが始まると、外国人選手は東京の「高温多湿」にへきえきしている、という話がネットとメディアを通じて伝わってきた。
それはそうだろう。日本の普通の市民でさえ、夏の暑さにはげんなりしている。なかでも東京はフィリピンのマニラ並みの高温になる、という点では、東南アジアの国々とそう変わらない。つまりは、熱帯。秋は確かに温暖だが、日本の夏は地獄だ。
気候と土地の人間の習慣は密接な関係にある。それを初めて胸に刻んだのは、ミシェル・ビュトール(1926~2016年)の「エジプト―土地の精霊―」を読んだときだ。
イスラム世界の知識ゼロの17歳にとって、エジプトはただただ乾いて暑い国、人々は日中は横になって暑さをやりすごし、夜になって動き出す――。ずいぶん怠けているんだなと思うこともあったが、今はそれが生き延びる知恵だと分かる。
ジイサンになった今はエジプト人以上だ。昼はパソコンに向かっているか、横になって本を読んでいるだけ。夜も早々とふとんに入る。わが家にいながら「入院生活」をしているようなものだ。
問題は、高温多湿をどうしのぐか――。まずは朝早く起きて、気温が30度にならないうちに“仕事”をすませる。といっても、年寄りの仕事は土いじりと糠床をかき回すくらいだが。
先日は朝5時過ぎ、夏井川渓谷の隠居へ出かけて、庭のキュウリを摘んだ。JR常磐線の踏切を渡ると、線路の先から朝日が昇るところだった=写真。
去年(2020年)の秋分の日近く――。やはり早朝5時過ぎ、隠居へナスを取りに家を出た。踏切を渡り、平六小前で左折すると、ややねじれながらも東西に伸びた道路の先、低く垂れこめた灰色の雲海から朝日が顔を出し始めた。あまりのタイミングのよさに、つい車を止めてパチリとやった。
それより2カ月近く早い今は、道路より北側の丘陵に朝日があった。日がたつにつれて朝日は道路に近づき、やがて南から現れるようになるのだろう。
そうそう、月3回配布の回覧資料も、このごろは日中を避ける。夕方ないし早朝に届ける。するとやはり、日中、ウオーキングする人も、暑さを避けて朝6時前には歩き出していた。
この日本の夏の暑さを初めて体験するいきものがいる。いわき市小川町・三島地内の夏井川に残留したコハクチョウの「エレン」だ。
7月下旬以来、エレンの姿が見えない。3月下旬、残留に気づいて以来、毎週、隠居への行き帰りに観察してきた。四倉から小川の職場に通う若い知人も「姿が見えない、どっかへ飛んで行ったんですかね」という。
けがをして残留したコハクチョウが自然治癒をして飛べるようになるのは、可能性としてはゼロではないだろう。しかし、過去の残留コハクチョウの例からして、それは難しいのではないかと私は思っている。
としたら、野犬やキツネなどに襲われたか、あるいはあまりの暑さに、日中はどこかへひそんでいる? エレンのことが気になってしかたがない。
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