若いころからいわきの自然を丸かじりしたい、という思いがあった。人間のことは、いやでも仕事を通して考えさせられる。いわきという風土の中で、人間は自然と関係し、影響しあって暮らしている。いわきを知るには、人間だけでなく自然も知らねばならない――そう思って、鳥を、花を、キノコを見てきた。まだまだ知らないことがいっぱいある。
自然を学ぶフィールドが、昔は石森山(平)だった。今は日曜日に出かける夏井川渓谷だ。コロナ感染を避けるために極力外出を控えている今は、街への行き帰りも自然をながめるいい機会になる。
街からは夏井川の堤防をゆっくり戻る。いつのまにか、私のなかでランクができていた。①季節の変化=ツバメやハクチョウの飛来、ウグイスの初鳴きなど②生態の確認=ミサゴの狩猟や雄キジの母衣(ほろ)うちなど③想定外の出合い=コクチョウやコブハクチョウの出現など――。①より②、②より③の方が、驚きの度合いは大きい。
先日は堤防の高水敷にニワトリ大の茶色っぽい鳥が群れていた=写真。キジの子どもだった。自分のランクでは②だが③でもあった。
キジが子育てをしているのはわかっている。が、めったに姿を見せない。その子どもたちが大きくなって何羽も現れた。驚いた。そして、うれしくなった。堤防をはさんで人間の暮らしとキジの暮らしがつながっている。
夏井川の河川敷ではあらかた立木が伐採された。土砂除去工事も進む。そこだけは少ししか手が入っていない。堤防の上から高水敷までは草が刈られたが、残りの半分は岸辺まで草が茂るにまかせている。背丈が2メートルを超える草がほとんどだ。その繁みに巣があるのだろう。
おととし(2019年)6月初旬の夕方、下流でキジの母子に遭遇した。そのときのブログの抜粋。
――堤防のてっぺんの草むらに沿ってキジの雌が歩いている。と、そばの草むらからひなも現れた。そこでは前に何度か雄を見ている。その奥さんと子どもたちだろう。
母子がいるということは、巣もこちら側の河川敷にあるということだ。河川敷にはサイクリングロードが設けられている。ときどき草刈りが行われる。人が近づかずに安全なところといえば、ヨシ原?
雄は、堤防沿いの畑や岸辺でちょくちょく見かける。しかし雌は、この10年間で2回だけ。対岸の岸辺の砂地に雄と、あるいは単独でいた、という程度で、子連れの雌を至近距離で見たのは初めてだ――。
まず、雌のキジを見ること自体珍しい。母子連れとなるとさらに珍しい。3年前のキジの子は、それこそよちよち歩きのひなだった。今回の子たちはそれから3カ月後の姿をしている。母親と同じくらいの大きさだ。6羽いた。母親もいたかもしれない。としたら子どもは5羽。親と全く区別がつかないほど育った。
不要不急の外出は控える。このご時世、それはしかたがない。でも、リアルな自然には感動がある。リアルな社会もそうだろう。用があって外出したら、ついでに自然にも触れる。そのことを忘れないようにしないと――。
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