何も難しいことは書いてない。父ちゃん(配偶者)と母ちゃん(著者)、そして息子(中学生)の3人、というより息子を軸にした生活記録だ。
ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー
2』(新潮社、2021年)=写真。カミサンが移動図書館から借りて私に差し出した。読んでみたら、ということなのだろう。
前著は累計87万部を超えるベストセラーになった。そちらは読んでいないが、著者のインタビュー番組や記事を通じて、イギリス在住の主婦ライターであることは承知していた。
『ぼくはイエローで――2』を読み始めてすぐ、冒頭のような感想を持ち、一気に読み終えた。
新しい事象は地域の片隅から始まる。一例が大震災と原発事故だ。直後に、いわきのコミュニティ(地域社会)では避難民受け入れに伴う摩擦が起きた。
国や地方自治体の政策が具体的なかたちとなって現れる場所もコミュニティだろう。わかりやすい例でいうと、コロナ禍で緊急対策が実施される。それで前は移動図書館が休みになった。
イギリスでも事情は変わらない。いろんな国からの移民がいる。それぞれに生活習慣や文化が違う。
緊縮財政による地域図書館の荒廃や性的少数者(LBGTQなど)、男性でも女性でもない「ノンバイナリー」の教員の存在などが本のなかで語られる。
この本は「等身大のノンフィクション」だという。ネットにアップされている本人のインタビュー記事によれば、新聞には「ふだんみんながしゃべっている地べたの話は載っていない」。で、「地べたの話」を材料にしてモノを書くようになったら、共感の輪が広がった。
「地べたの話」とはつまり、日常のことだ。日常のことはニュースにならない。当然、メディアは取り上げない。
私のブログも「地べたの話」に近い。主婦の視点をきっかけにブログを組み立てることが多い。天下・国家より野菜の値段が問題だ――主婦のおしゃべりに耳を傾けると、男とはまた違った風景が見えてくる。
「地べた」で見たもの、聞いたものを通して思考は鍛えられる。多様性を受け入れる視点が読者の共感を呼ぶ。私のブログも足元を見つめようと心掛けている点では同じだが、やはりどこかで男の古い思考がしみ出ているのかもしれない。
『ぼくはイエローで――2』で最も心に残ったのは、学校の春のコンサートを扱った第2章だ。
校長の勧めで音楽部に入って以来、学校へ来るようになった息子の同級生がいる。たった1人のアフリカ系で、学校のコンサートで美しく力強い歌声を披露した。「ソウルクイーン」と絶賛された。
大人たちからほめられた母親がいう。「みんな上手だった。みんなで一緒に練習して、みんなでベストを尽くしたからいい演奏になったんだ。あの子はみんなの中の1人に過ぎない」。こういうところにジーンとくる。
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