先日亡くなった西村京太郎さんは、十津川警部シリーズで知られる推理作家だ。テレビドラマでは承知していても、作品は読んだことがない。
いわき駅前の総合図書館へ行くと、「追悼コーナー」ができていて、新書サイズの西村さんの作品がボックスの上に展示されていた。
なかに『一九四四年の大震災――東海道本線、生死の境』があった=写真。1944(昭和19)年の大震災といえば、戦時下の日本で起きた「東南海地震」のことだ。
東日本大震災の年から何年か、学生を相手に、「メディアと社会」の話をしたことがある。そのとき、「大本営発表」にからめてこの大震災を取り上げた。
タイトルから「隠された大震災」を思い出して、初めて西村さんの本を借りて読んだ。図星だった。
親子2代、在野で東海地方の地震と津波を研究し、巨大地震のあとには誘発地震が起きることから、次への備えを呼びかけていたところ、初めは警察、次いで特高や憲兵隊にしょっぴかれる。
親子が懸念していたとおり、東南海地震の1カ月余りあとに「三河地震」が発生する。それでも、父親は憲兵隊によって秋田の鉱山へ、息子は懲罰召集で沖縄の戦線へ追いやられる。物語はさらに現代、孫の代へと続き、戸津川警部が登場する――。
推理小説だから、物語は複雑に絡みあう。が、主題は政府と軍部による言論統制・報道管制がいかに市民の生命と財産を奪ったか、だろう。
「広報ぼうさい」によれば、これら二つの地震は日本の敗戦が色濃くなった戦時下で起こり、軍需工場が集中する東海地方に大きな打撃を与えた。当時は報道管制下にあり、「隠された地震」ともいわれた。地震と津波による死者数は、東南海が1223人、三河が2306人だった。
外交ジャーナリスト清原冽(きよし)が『暗黒日記』に12月の東南海地震について書いている。
「12月11日(月) (略)東洋経済の評議員会に出る。諸氏の談話によって、過般の中部日本の地震が、戦力に極めて重大な影響あるを明らかにした。日本の飛行機生産の少くとも四割は名古屋付近にあり、その外に造船、重工業はその方向に多い。しかも、それ等は海浜の埋立地に多いから、被害も多かろうという」
続けて、報道管制下にあるメディアについて記す。「(略)震災のことは新聞はほとんど書かない。ラジオは全く放送しなかった」
たまたま12月8日は開戦記念日で、朝日新聞はその特集のために4ページを製作した。地震の記事は小さく3面に掲載された。
当時の新聞は物資不足のために、通常、ペラ1枚、2ぺージ。震災報道は裏の2面、しかもベタ記事に抑えられた。死者の数などは当然、書けない。大災害でも被害の程度は「微小」と、事実とかけ離れた報道を強いられた。
それから77年。ロシアでは今、メディアは「戦争」という言葉を使えない。「大本営発表」は国や時代に関係なく繰り返される。
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