1月は、どこに出ているのやら――そう思わせるほど、姿が見えなかった。2月中旬になると、一気に頭を出した。カミサンが毎週、夏井川渓谷の隠居の庭でフキノトウを摘んだ。まずはてんぷらに=写真。ふきみそもつくった。
さらに後日、Eテレの「やまと尼寺 精進日記」を見て、関西風のふきみそをつくってみたという。
ネットでそちらのレシピを確かめる。ポイントだけいうと、まず、お湯で1分間ゆでる。それを水にさらす。そのあと、手早く刻んですり鉢に入れ、白みそと砂糖を加えて擂粉木でする、というものだった。
白みそはもちろんあれば使う。しかし、いわきは東北、赤みそ文化だ。そのへんは省略して赤みそを使った。
食卓に2種類のふきみそが並んだ。一つはいつものやり方でみじんにして、砂糖と赤みそを加えて油でいためたもの。香りと苦みが強い。もう一つは関西風の緑がかったもの。こちらは淡白な味というか、薄味のふきみそだ。
油いためのふきみそになじんでいる人間には、関西風のふきみそは、なんとなく物足りない。
わが家で食事をとる義弟も、やはり濃い味のふきみそ派だ。関西風ではなく、東北風。これが味蕾に刷り込まれている。
カミサンが知人にお福分けをした。その反応も同じだった。関西風味を好んだのは1人、ほかは昔ながらの油いため派だったという。
フキノトウは毎年、同じところに出る。それと向き合う人間は1歳ずつ年を取る。幼年・少年・青年と、人生の歩みとともにフキノトウへの思いが変化する。こんな山菜はまずないのではないか。
母方の祖母が住んでいた山の一軒家の近く、田んぼの土手でフキノトウを摘んだのが最初の記憶だ。小学校に上がる前、6歳のころだった。小4のころには、半ば強制的に母に連れられてフキ採りを経験した。
子どものころ、フキノトウは苦くて食べられたものではなかった。ところが、就職して間もないころ、酒のつまみにフキノトウの蒸し焼きが出た。初めて丸ごと食べた。
フキノトウの苦みが、大人になったときに郷愁と結びついて、好ましい食べ物に替わっていた。
フキはてんぷらやふきみそだけではない。茎も煮たり、油いためにしたりして食べる。このごろは出来合いを買って間に合わせる。しかし、ここにも古い味と新しい味がある。
街中の食品店に量り売りの「フキの油いため」があった。すぐ買って、酒のつまみにした。フキの風味はどこかへ消えて、砂糖の甘さだけが口に残った。そんな油いためも出回るようになった。
さて、次は木の芽だ。ふきみそが切れるころ、サンショウの若芽が吹く。これもいい食材になる。あえもの・吸い口・彩り、あるいはさんしょうみそに……。
庭の若いサンショウを見ると、あれれれ、新芽が出ていない。バシッ、バシッと切られたような跡がある。今年(2022年)は夏井川渓谷の隠居の庭で木の芽を調達するしかないか。
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