いわきで「震災詩」を書き続けている詩人がいる。木村孝夫さん(平)。今年(2022年)も詩集をまとめた。
『モノクローム・プロジェクト ブックレット詩集27 十年鍋』=写真=で、3月11日付でモノクローム・プロジェクト(京都)が発行した。
11年前の平成23(2011)年3月11日、東日本大震災が発生し、大津波で多くの人命が失われた。東京電力の福島第一原子力発電所では、3基がメルトダウンをし、相双地区を中心に16万人が避難を余儀なくされた。
それから11年。住民票を異動せずにいわき市に避難している人は1万7859人。ほとんどが双葉郡8町村の住民だ。いわき市民になった人もむろんかなりの数に上るだろう。
3・11から2年半近くたった平成25(2013)年8月時点で、いわき市内で避難生活を続ける市民、相双地区の住民は3万人を超えていた。
避難民は応急仮設住宅、雇用促進住宅、アパートなどの借り上げ住宅に住んだが、時間の経過とともに不安感や孤立感を深める人が少なくなかった。
震災直後から市内外のNPOなどが救援活動に入った。そのひとつ、シャプラニール=市民による海外協力の会が開設・運営した交流スペース「ぶらっと」で木村さんと出会った。以来、詩集を出すたびに恵贈にあずかっている。
詩集『十年鍋』の巻頭は、タイトルと同じ「十年鍋」。「十年鍋の中には/怒りや落胆や困惑や分断などが/煮込む事ができないで/そのままの形で取り残されている」という4行から始まる。震災と原発事故10年の現実がここに凝縮されている。
そして、最終2連。「古里へ戻る事を諦めた無念さや/病で寝込んでしまった悔しさ/朽ちた家屋の姿なども焦げ付いている」「これらが十年鍋に入っているから/その時々の事を思い出す/禍根のヒビは/いまだに小さくなれないでいる」。十年鍋とはつまり胸中のことだろう。
双葉郡には帰還困難区域がある。除染計画のないところは「白地(しろじ)地区」と呼ばれる。それを取り上げた「名前」。
「帰還困難区域の除染計画は白紙のままで/地図上に真っ白の空白地帯が広がっている/それを『白地地区』と呼んでいるのだ//名付けがとても上手ですねと/褒める人がいたとしても喜べるものではない/十年も過ぎると名前まで変色している」
その帰還困難区域の様子。「朽ちていく我が家を視て/荒れ果てた田畑を視て/ご先祖様の疲れた姿を視ると/心が早鐘になる/不自然な陽気さが身についてしまったが/まだ十年が過ぎたばかりだ」(「視る」)
人が求めるのは当たり前の日常だ。あのときまでは、何事もなく一日がめぐり、あしたもまた同じ一日がめぐってくる、と信じて疑わなかった。そんな無事な日常が原発事故で失われた。
わが家の近所から除染して新しくできた復興拠点に移り住んだ人がいる。「自分の家は帰還困難区域の中にある」。そういわれたときに初めて、その人の内面に触れたような気がした。町には戻ったものの、ほんとうの自分の居場所に帰ったわけではない。この人もまた十年鍋を抱えていた。
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