熱帯雨林がある。地面にはアルコールの蒸気を立ち昇らせる果実がいっぱい落ちている。ゴリラやチンパンジー、ボノボ、ヒトといった森の住人が地面を歩いて、このごちそうを集めることを覚える――。
ニコラス・マネー/田沢恭子訳『酵母 文明を発酵させる菌の話』(草思社、2022年)=写真=を図書館から借りて読んだ。
人類がアルコールと最初に出合ったシーンを、同書は冒頭のような鮮やかなイメージで語る。
著者はイギリスで生まれ、菌類学を専攻した。アメリカオハイオ州のマイアミ大学生物学教授で、カビからキノコまで幅広く菌類の形態や生活などを研究している。
「酵母(糖依存菌)は、文明が誕生した当初から目に見えないパートナーとして文明に寄り添ってきた」
確かに、酵母はあることはわかっていても、目に見えない分、理解しにくい。その酵母に科学、文化、歴史の視点から平易な言葉で光を当てる。
人類の祖先が森林を離れ、定住して農耕を始める大きな原動力となったのは、酵母がつくるビールやワインだったという。むろん、パンにも酵母は必要だ。
それだけではない、近年は腸内環境を整えるマクロビオティックやバイオ燃料の製造にも酵母が利用されている。
私はそのなかから、主に「酔っぱらったサル」である人類とアルコールの関係に絞って読んだ。
ヤシ酒の話が出てくる。たとえば、マレーシアのプルタムヤシの木。巨大な花茎にたまった花蜜が酵母によって発酵し、アルコールの蒸気が雨林を覆う。夜間、香りに誘われた小型哺乳類がヤシの木に登り、甘い酒を飲む。
このエピソードと冒頭の情景を重ねると、アルコールと動物、なかでも人間とのかかわりが見えてくる。
ヤシ酒が人類最初の発酵飲料だとしたら、ヤシ酒飲みは最初のアルコール依存症患者だともいう。
エイモス・チュツオーラ/土屋哲訳『やし酒飲み』(岩波文庫)は、アフリカの「やし酒飲み」、つまりアルコール依存症患者を主人公にした奇想天外な物語だ。この小説もヤシ酒を解説するなかで登場する。
若いときに一度、晶文社版の『やし酒飲み』を手に取ったが、展開する事件の奇抜さについていけなくて、途中で読むのをやめた。今回、再読すると、こちらにも奇抜さを飲みこむくらいの耐性はついていた。
さて、「酔っ払ったサル」である人類は、酒をつくることを覚えた。酒をつくって飲むのはホモ・サピエンスの決定的特徴だそうだ。
その結果、どうなったか。「私たちがヤシ酒に手を出すまで、エデンの園には悩みなどがなかった。しかし私たちは森林から農地へと進み出ていき、それに伴ってアルコールが慰めと苦しみを等しくもたらすことを知った」
適度なアルコールは疲れた心と体をほぐしてくれる。しかし、過度なアルコールは「享楽の夜」のあとに「頭痛の朝」を用意している。アルコールなしではいられない依存症も生んだ。
このところ、アルコールを断っている。アルコールの苦しみのなかには、飲みたい酒を我慢することも入っている。飲まない人は「なんだ、バカバカしい」と思うだろうが。
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