2022年3月5日土曜日

「燃える闘魂」の今

        
  3月2日夜7時のニュースが終わると、突然、元プロレスラーのアントニオ猪木が登場した。なんでNHKに猪木が? びっくりして、いわき民報のテレビ欄を見た=写真。

 「燃える闘魂“最後の闘い”アントニオ猪木 難病と闘う日々に密着 あの名勝負が今夜復活 藤波が藤原が何を語る」。45分間のドキュメンタリー番組だった。

 番組が終わるとすぐネットで検索した。すでに去年(2021年)の11月、BSプレミアムで放送されていた。地上波での再放送だった。

 79歳。「アミロイドという物質が全身に溜まり、血液循環が悪くなる『百万人に数人』の難病」(日刊スポーツ)と闘っていた。やせ衰えた姿は痛々しいが、語る言葉には力がこもっている。

番組を制作したのは共同テレビジョンというところで、担当したプロデューサー兼ディレクターが猪木の元弟子、つまり新日本プロレスのレスラーだったという。このきずなが密着取材を可能にしたのだろう。

私が物心づいたころには力道山がいた。最初は近所のラジオ屋の店頭で、やがて茶の間のテレビで、夢中になってプロレスを見た。

少し大きくなってからはジャイアント馬場とアントニオ猪木がリングのヒーローになった。馬場は「全日本」、猪木は「新日本」の旗頭だった。

次第にストロングスタイルの「燃える闘魂」に引かれていった。社会人になってからも、テレビ観戦は続いた。なかでも異種格闘技戦には熱狂した。

そのころだったと思う。新日本プロレスが古い平競輪場の駐車場で興行を打ったことがある。確かいわき民報がPRに協力したので、早い時間から会場へ詰めかけた。

 試合前のリングで新人のジョージ高野が1人、トレーニングをしていた。しなやかで強靭な筋肉質の若者だった。体が資本のレスラーにとっては、ケガが大敵。それを防ぐためにもふだんのトレーニングが欠かせない。レスラーの強さの秘密を垣間見た思いがした。

今でもはっきり覚えている異種格闘技は、昭和51(1976)年6月のモハメド・アリ戦。プロボクシングの世界ヘビー級チャンピオンを相手に、寝ころんで戦った。プロレス技を封じられた結果の「足払い攻撃」だった。一般には凡戦という評価だったが、そうしてまで戦う猪木に一途なものを感じた。

 番組ではプロレスの歴史と猪木の戦歴を重ね、レスラーの藤原喜明らがエピソードを披露した。新日本プロレスの試合を中継したアナウンサーの古館伊知郎も猪木との交流を語った。

 あの「燃える闘魂」が――と最初は戸惑ったが、番組が進むにつれて、人間は老いる、しかし老いてなお前を向いて生きるのだ、というメッセージが伝わってきた。

リング上の猪木に熱狂した人間も、同じように老境を迎えた。「猪木が頑張っているから、オレも――」。そんな気持ちになった人も多いのではないか。

0 件のコメント: