日曜日に夏井川渓谷の隠居へ行くと、ラジオをかける。NHKの第一放送を聞く。昼前は「「子ども科学電話相談」をやっている。3月6日は「天文・宇宙」「科学」「心と体」だった。
朝、街の西方にある阿武隈の山並みが雪雲でかすんでいた。渓谷では雪がふっかけてきた。午後3時ごろ、家に戻ると山並みは灰色のカーテンがかかって見えなかった=写真。
晴れてはいたが、風が強かった。昼だけでなく、夜も吹き荒れた。明け方になってやっと風がやんだ。
こんな日はなんとなく胸が騒ぐ。小学2年生になったばかりのころ、町が大火事になった。その日も昼間から西風が吹き荒れていた。
これは前に書いた文章の抜粋――。夜7時10分。東西に長く延びた一筋町にサイレンが鳴った。こたつを囲んで晩ご飯を食べるところだった。消防団に入っていた父が飛び出していく。母と弟は親類の家に出掛けていない。残ったのは祖母と小学5年生の兄、そして私だけ。
表へ出ると、ものすごい風だ。漆黒の空の下、紅蓮の炎が伸び縮みし、激しく揺れている。かやぶき屋根を目がけて無数の火の粉が襲って来る。炎は時に天を衝くような火柱になることもあった。
パーマ屋のおばさんに声をかけられ、ランドセルを背負っておばさんたちと一緒に裏の段々畑に避難した。
烈風を遮る山際の土手のそばで、着の身着のままで、かたずをのんで炎に包まれる通りを眺めた。
やがて炎はわが家を襲い、柱が燃え、倒れた。買ってもらったばかりの自転車も、赤ん坊のときから小1までの写真も灰になった。
「子ども電話科学相談」の話に戻る。隠居に着いてすぐ、畑に生ごみを埋めた。土は凍ってはいない。地温は着実に上がっている。とはいえ、風は冷たい。作業を終えてすぐ隠居に引っ込んだ。
少し早い昼食をとっていると、小2の女の子が質問した。「人間はなんでうそをつくんですか」。とっさにロシアの指導者の顔が思い浮かんだ。
実際には、女の子自身の体験から生まれた疑問だった。答えは「便利だから」。「うそも方便」という。そしてもう一つ、「心は二つある」。方便のほかに、うそについて考える心も持っている。
私も大火事の直後、うそをついた自覚がある。夜が明け、同級生と2人で白煙がくすぶる焼け跡に下りていくと、不意に尋ねられた。「坊やのおうちはどこ?」
声をかけてきたのは新聞記者だった。父親が50メートル先に立っていた。そこが自分の家があったところだろうと思いながらも、口をついて出た言葉は「知らない」だった。
あとで親戚から新聞を見せられた。写真には「おうちを探す子ら」の見出しがついていた。
巨大地震・大津波、原発事故、そして一方的に始まった戦争。ウクライナではまた核施設が攻撃された。避難民は150万人を超えたという。戦火のなかを避難する7~8歳の少年の心に、大火事の記憶が重なる。
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