3・11のあと、歌人や俳人の震災詠を読んできた。初期の震災詠にのみ通じることかもしれないが、なぜか短歌に引かれた。
俳句は17音、世界を詠みきるには短すぎる。短歌は17音プラス14音の分、内面にまで降り立つことができる。両方の震災詠を読み比べてそんな感想を抱いた。
震災後、日経の文化部編集委員(宮川匡司さん)が詩人の吉本隆明さんらにインタビューをした。その単行本、『震災後のことば――8・15からのまなざし』(日本経済新聞出版社)が平成24(2012)年4月に出た。
詩人で弁護士の中村稔さんにも話を聴いた。「歌の力」について、記者はたずねる。震災を詠んだ作品の印象として、「詩よりも短歌の方が、見るべき作品があるように思うのですが」。
中村さんは答える。「歌の方が、一般庶民の心情に近いレベルで、日常的な心境を表現できるんですね。日記代わり毎日毎日、歌を書きつけてゆく、というところがある。(略)僕のように天変地異に対して、人間はどうあるべきか、なんて考えると、なかなか詩は書けない」
で、結論。「歌を書く人は、日記みたいにして日常的な視点から作品を書くから、中にはいいものができる、ということがあり得るともいえる」。中村さんの見立てが腑に落ちた。
短歌や俳句や詩のことを思い出したのにはワケがある。先日、カミサンが大熊町出身の女性から、佐藤祐禎歌集『再び還らず』の恵贈にあずかった=写真。
佐藤さんは、事故を起こした原発のある大熊町で農業を営むかたわら、短歌を詠み、原発の危険性を訴えてきた。
平成16(2004)年には短歌新聞社から歌集『青白き光』を、震災後の同23年にはいりの舎から同歌集の文庫版を出した。
歌集『再び還らず』には、佐藤さんが原発避難を余儀なくされた同年3月から翌24年8月までの作品が「月ごと」に収められている。
佐藤さんは3・11の翌月、「原発の崩壊に逐(お)はれ六度ほど宿り替へつつここいわき市に」来た。そのいわき市で平成24年9月に倒れ、翌25年3月12日に亡くなった。歌集発行日が令和4(2022)年3月12日になっているのはそのためだ。
時系列で作品を読むと、一人の人間の日々の暮らしや思いが手に取るようにわかる。なかでも、いわきから北にある大熊への郷愁には胸が締め付けられた。
北を指す雲よ大熊に到りなば待つ人多しと声こぼしゆけ
ああわれら難民とよばるる身なりよとある時はつとわが気付きたり
ちなみに、女性の父親と佐藤さんは友達、佐藤さんの奥さんは先生で、女性が小学1、2年のときの担任だったという。
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