2022年3月14日月曜日

「蒸しかまど」余話

         
 あらためて「コミュニティペーパー」(地域新聞)の役割と存在意義を確かめるようなはがきと手紙と会話だった。

 新型コロナウイルス感染症が世界的に流行し、日本でも緊急事態宣言が出されたり、まん延防止等重点措置が行われたりした。

いわきでは感染防止一斉行動がとられ、公共施設の休館や行事の中止・延期が相次いだ。すでにこれを2年余り繰り返している。

 主にマチの出来事を伝えるいわき民報にとって、会議やイベントその他の行事の中止はこたえる。

紙面を埋める記事が激減した。それを補うために令和2(2020)年5月中旬、古巣のいわき民報で私のコラム「夕刊発・磐城蘭土紀行」=写真=が始まった。

 毎日、ネットでブログを更新している。それを新聞に転載する。私には、新たな負担はない。

すると、昔からの知人・友人から電話がかかってきたり、はがきや手紙が届いたりするようになった。

 ネットとは無縁の、人生の先輩が多い。テレビや新聞から情報を得て、社会の動きを確かめる。

 3月に入るとすぐ、「夕刊発――」に「蒸しかまど」の話が載った。すると、小名浜に住む旧知のKさんからはがきが来た。

 昭和30(1955)年の春、小名浜に嫁いだ。蒸しかまどでご飯を炊く家だった。そのことにとても戸惑った。燃料には「松炭」を使った。櫟(くぬぎ)などは硬くて火力が強すぎるのでダメなのだと教わった。当時を懐かしく思い出しながら読んだという。

 そのころ、私は阿武隈高地にある町の小学校に入ったばかり。蒸しかまどの火の番をしたのは4、5年生になってからだったように記憶する。

ときどきご飯が焦げてしまうことがあった。かまどの先端から湯気が立ち昇ると、先端と下の空気穴にふたをする。湯気に気づくのが遅れると焦げが多くなる。

そのタイミングが難しいことを、子どもでも体験的に知っていた。蒸しかまどにはやわらかい松炭がいい、という話には素直にうなずいた。

手紙は老人施設で暮らしているTさんからのものだった。今年94歳になる。Tさんも私も加わっている団体がある。そのメンバーの1人である友人からいわき民報が1週間分まとめて送られて来る。Tさんも「夕刊発――」を読んでいる。

2月後半は記事が多かったこともあって、「夕刊発――』の休載が続いた。文面に「どうなさったのか、とても心配です」とあった。

きのう(3月13日)、あるところで寄り合いがあった。「夕刊発――」を読んでくれている人がいる。2月後半の長い休載に「コロナにかかったのかと思った」という。

コミュニティペーパーの特質は、同じ地域に住む読者と記者が「顔の見える関係」を築いていることだろう。

Kさんのはがきは蒸しかまどの文化史的知識を補充してくれる。Tさんの手紙や知人との会話は、読者を念頭に置いた新聞づくりが大切なことを教えてくれる。

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