全国紙の日曜コラムを読んでいたら、ロシアと国境を接するウクライナ北東端の村人の話が出てきた。国境の向こうに松林があって、良質のキノコがたくさん採れる。
「ソ連が崩壊し、ウクライナとロシアがともに独立した後も、村人は時々勝手に越境してキノコ狩りをしていた」
キノコ好きのスラブ人、という言葉が思い浮かぶ。ウィキペディアによれば、「スラブ人」というのは「民族」ではなく、「言語学的な分類」だそうだ。
それに従えば、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアの人々は「東スラブ人」、スロバキア、チェコ、ポーランドの人々は「西スラブ人」、クロアチア、セルビア、ブルガリアなどの人々は「南スラブ人」となる。
ウクライナの村人も「ウクライナ人としての誇りを持つ一方で、ロシア語を母語として話し、ロシアに親近感も抱いているように見えた」。なるほど、東スラブ人には違いない。
キノコと人間の関係に興味がある。菌類研究は専門家にまかせて、もっぱらキノコが登場する小説やエッセーなどを読んできた。キノコ関係のニュースやコラムが新聞に載れば切り抜く。冒頭のコラムも切り抜いた。
きっかけは11年前の原発事故だ。いわきを含む福島県の広範な地域で野生キノコの摂取と出荷が制限された。キノコは「採る・調べる」から、「撮る・読む」に変わった。チェルノブイリ原発周辺に戻った村人とキノコの話も頭にあった。
以来、人種や言葉は違っても、キノコを介してその国の暮らしや人々の心情を理解することはできるのではないか――勝手に“文化菌類学”と称して、キノコ文学を読んでいる。
チェルノブイリ原発事故は昭和61(1986)年4月に起きた。セシウム134はその2年後に、セシウム137は平成28(2016)年4月に半減期を迎えた。
そのころ、福島とチェルノブイリ周辺で被ばく調査を続けている独協医科大の木村真三准教授に東京新聞の記者が同行して記事を書いた。
それによると、人々が暮らす村で食べ物や土壌を採取して調べた結果、何を食べたかで数値が極端に上下した。主な原因はキノコだった。
令和元(2019)年にノーベル文学賞を受賞したポーランドのオルガ・トカルチュクに『昼の家、夜の家』という作品がある=写真。「西スラブ人」らしくキノコが重要な道具になっている。
ロシアの作家ミハイル・プリーシヴィンの『裸の春 1938年のヴォルガ紀行』には、「茸の話」が収められている。同じロシアのニコライ・スラトコフの『北の森の十二か月』にもキノコが登場する。
原発震災後に書かれた黒川創の連作短編集『いつか、この世界で起こっていたこと』には「チィェーホフの学校」)が入っている。キノコ好きのチェーホフの話にチェルノブイリ原発と東電福島第一原発の事故を重ねた。
ロシアの侵攻が苛烈さを増している今、東スラブ人の住む大地が再び汚染されぬよう、キノコ食文化が破壊されぬよう、ただただ祈るばかりだ。
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