2022年5月12日木曜日

命名の達人

                                
   草野心平の詩や随筆を読んでいると、しばしば名付けの妙に感心させられる。象徴的な例はカエルだ。「ゲリゲ」「ぐりま」「ごびらっふ」……。

 ただ命名するだけではない。命が宿る。詩「ヤマカガシの腹のなかから仲間に告げるゲリゲの言葉」は、心平自身の意思表明と映る。「死んだら死んだで生きてゆくのだ」。この詩の、この行にびっくりした。

いわき市立草野心平記念文学館で6月26日まで、企画展「草野心平の命名 名前・名前・名前」が開かれている=写真(チラシ)。

 筆名、地名、料理、あるいは犬、猫、魚、鳥など、心平が飼った動物には独特の名前が付けられた。

 風変わりなところでは、昭和27(1952)年3月、心平が49歳で東京・文京区に開いた居酒屋「火の車」のお品書きだ。

「火の車」は間口一間半、奥行き二間の小さな空間だった。同文学館常設展示室に店が復元されている。

海苔(のり)でまいたホウレンソウのおひたしは「黒と緑」、豚の煮こごりは「冬」、鶏の尻の油いためは「もも」、漬物は「雑色」、玉露は「八十八夜」。

キャベツや牛乳、ベーコンなどのスープは「白夜」、ビールは「麦」、チーズとカルパス(サラミ)は「丸と角」、ピーナツは「ぴい」と名付けた。

双葉郡川内村でも「どぶろく」に「白夜」と名付けている。心平が初めて同村を訪れたのは「火の車」開店の翌年だから、「白夜」は村でスープから酒に進化した。

 心平命名の、いわきの地名に「背戸峨廊(せどがろ)」がある。正確には、土地の人が「セドガロ」と呼んでいた江田川に「背戸峨廊」の漢字を当てた。

小川中の初代校長で長く平二中校長を務めた草野悟郎さん(心平のいとこ)が昭和62(1097)年、随筆集『父の新庄節』(非売)を出す。そのなかで悟郎さんも参加した心平の背戸峨廊探検について触れている。

江田川と山を一つはさんだ東側に加路川が流れている。どちらも夏井川の支流だ。加路川流域の住民は裏山の谷間を流れる江田川を「セドガロ」(背戸の加路=裏の加路川)と呼んでいた。

「この川の上流はもの凄く険阻で、とても普通の人には入り込める所ではなかった。非常にたくさんの滝があり、すばらしい景観であることは、ごく限られた人々、鉄砲撃ちや、釣り人以外には知られていなかった」

 その川を地元・江田の青年会・文化会員らが案内した。「心平さんは大いに興を起こして、滝やら淵やら崖やら、ジャングルに一つ一つ心平さん一流の名を創作してつけて行った」

『草野心平全集』や文学館の心平年譜(図録も)には、「昭和21年9月に命名」とある。が、それだといろいろ矛盾が出てくる。当時のいわき民報の記事などから、実際は昭和22年10月に入渓・命名したことがわかった。

 今度の企画展には、心平を案内した江田の小野忠仁さんの日記が展示されている。昭和22年10月入渓を裏付ける「物的証拠」だ。私のなかでは、これが一番の収穫だった。

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