日曜日は夏井川渓谷の隠居で過ごす。朝、小川町に入ると、三島地内の夏井川に残留コハクチョウ「エレン」がいることを確かめる。
5月最後の日曜日、29日――。いつもいる対岸の浅瀬にエレンの姿がなかった。午後4時前、隠居からの帰りに見ると、対岸を人が歩いていたが、エレンはやはりいなかった。
どうしたんだろう。心配しながら帰宅すると間もなく、エレンの世話をしている小川町のSさんから電話が入った。
27日に大雨が降って、エレンがいつも休んでいる中洲の草むらが水没した。姿が見えないので動物にやられたかと思ったが、それらしい様子はない。下流の平窪まで見てきたが、エレンの姿はなかった――。
前に羽をけがして平窪に残留したコハクチョウがいる。このハクチョウの「その後」とエレンが重なった。
日本野鳥の会いわき支部の支部報「かもめ」第126号(2015年4月1日発行)に、同支部の事務局長を務めた峠順治さんが「左助・左吉と過した2200日~馬目夫妻の白鳥物語」を寄稿した。
左助と左吉は飛来後、高圧線にぶつかり、翼をけがして北帰行がかなわなくなったハクチョウだ。
平成15(2003)年9月の大水で、夏井川の越冬地(平・中平窪)から約8キロ流され、そのまま下流の平・塩~中神谷に定着した。この2羽が呼び水になって、塩にもハクチョウの越冬地ができた。
左助たちの世話をしたのが、対岸・山崎の馬目さん夫妻で、峠さんは馬目さんの死とともに終わったハクチョウと馬目さんの9年間の交流(うち6年間、2200日は左助たちのために毎日)をつづっている。
左助と左吉には、越冬地直下の愛谷江筋取水堰が「壁」になったはずだ。その壁を越えて流されたわけだが、エレンも流されたとしたら、そこが第二の関門になる。
第一の関門は三島の越冬地直下の磐城小川江筋取水堰だが、ここは多段式の木工沈床なので、大水になればエレンだって簡単に流される。
エレンは去年(2021年)の春に残留した。今年も1羽だけ残った。そこへ幼鳥が1羽飛来し、およそ1カ月、エレンのそばにいた=写真(左が幼鳥、4月17日撮影)。Sさんは「コレン」と名付けた。
コレンは、体力が回復したからか、5月6日になると姿を消した。本能に従って北を目指したのだろう。
そして、またまた自然の脅威がエレンを直撃した。エレンは去年の真夏にも姿を消したことがある。連日の猛暑が原因で岸辺の竹林にでも避難していたのではないか、私はそう解釈したが、もとより単なる推測に過ぎない。
単に猛暑(5月29日)が理由だったら、また三島に現れる可能性がある。が、今回は大水と同時に姿を消したのが気になる。
翌30日、街へ行った帰りに堤防を利用した。対岸・山崎の岸辺に白く光るものがあった。エレンか! 双眼鏡で確かめたら、透明なごみ袋が日光を反射していた。大水で流れ着いたのだろう。
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