2022年5月17日火曜日

キューピット像

           
 いわき駅前の総合図書館で、「いわきの公園」をテーマに、令和3年度後期常設展が開かれている(5月29日まで)。先日、初めて展示コーナーをのぞいた。

 いわき市内にある公園のうち、平の松ケ岡公園、平中央公園、小名浜の三崎公園を取り上げ、沿革とエピソードを紹介している。

平中央公園に、彫刻家本多朝忠(ともただ)さん(1895~1986年)の作品「キューピット像」がある=写真。

もともとは、平駅前大通りと国道6号が交わる「ロータリー」(円形交差点)にあった。そこに設置されたのが昭和32(1957)年であることを、今度の展示で知った。

さらに、いわき市がフェイスブックに投稿している「いわきの『今むがし』――「平駅前大通り2」でロータリーの沿革を確かめ、子どものころに見たロータリーとキューピッド像をめぐる記憶の混同が整理された。

まずは、ロータリーについて。直径は20メートルあった。昭和20年代初め、平市街には、交通信号は一つもなかった。大町経由の新しい国道6号も建設中だった。「ロータリーは連合国軍総司令部(GHQ)の指示により、将来の新しい都市交通を見越して設けられた」のだという。

昭和32年、戦災復興事業10周年を記念してロータリーが小公園化され、中央に噴水付きのキューピット像が設置された。キューピット像は平ロータリークラブが寄贈した。

私は阿武隈高地の西側、田村郡常葉町(現田村市常葉町)で生まれ育った。昭和32年といえば、小学3年生だ。

小名浜に叔父一家が住んでいた。小学校に上がる前も、上がった後も、祖母に連れられて何度か訪ねたことがある。

平までは磐越東線を利用し、平駅前からはバスに乗った。昭和20年代後半から30年代前半のことで、トレーラーバス、ロータリー、キューピット像の記憶が、湯本回り小名浜行きのなかで一つになっていた。

今回ようやく、それらを解きほぐすかたちで幼年時代の記憶を再構成できた。ロータリーがまずあって、キューピット像はあとから視野に入ってきたのだ。

彫刻家の本多さんは義父や義父の兄と交流していた。それもあって、結婚して子どもが生まれてからは、ときどき家族で高台の洋館を訪ねた。

松ケ岡公園にある安藤信正像も本多さんの作品だ。大正11(1922)年に建てられた信正銅像が太平洋戦争で供出されたため、戦後の昭和37(1962)年に再建された。

 ついでに、もう一つ。ロータリーと同じような交差点にラウンドアバウトがある。ロータリーは左側の道路から進入する車優先、ラウンドアバウトは周回している車優先、という違いがある。

 ロータリーは昭和42(1967)年に撤去され、交差点は対面交通になった。キューピット像は平市民会館前の緑地に移された。

そのあと、いわき芸術文化交流館「アリオス」の建設に伴い、平中央公園が再整備されるなかで、同公園西側に移設された。今は水を噴き上げることもない。

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