岩波書店のPR誌「図書」の2022年5月号に、女優で作家の岸恵子さんがエッセーを寄せている。
タイトルが「高齢者の自覚」。横浜に住んでいる。坂の上に家がある。散歩をするために、毎日、車で山下公園へ出かける。
ある年、フランスに住む娘が家族とクリスマス休暇で来日した。娘が車を運転してドライブしたあと、やはり車を運転する母親にいう。「ママン、車庫入れしてみて」
「今まですっと入れていたのに、今日は二回も切り返した!」。で、娘にいわれる。「ママン、免許返納の時が来たのよ」
岸さんは82歳になっていた。「ハンドルを握って自由気ままにドライブすることが最高のリラックス法だった」が、家族の心遣いを受けて、その日で運転を断念した。
池袋暴走事故で加害者の元高級官僚に実刑判決が出たとき、岸さんは娘とのやりとりを思い出す。
「月日は容赦なく流れ、私は89歳になってしまった。山の上に住む私は、何処に行くにも坂だらけ、車を失った私はめったに散歩をしなくなり、筋肉が衰えた」
確かに。こちらは70代だが、老いを実感することがよくある。柱に足の小指をぶつけたり、庭から道路へ車を出すのに、生垣と隣の家の塀の間をすっとバックできなくなったり……。
しかし、すべては初体験、お互い様だから、夫婦で繰り返すトンチンカンを楽しむことにしている。
詩人のまど・みちおさんと奥さんがそうだった。平成22(2010)年1月に放送されたNHKスペシャル「ふしぎがり~まど・みちお百歳の詩」から生まれた本がある。『百歳日記』(NHK出版生活人新書)。なかに「トンチンカン夫婦」という詩が載る。
当時91歳と84歳の夫婦は「毎日競争でトンチンカンをやり合っている/私が片足に2枚かさねてはいたまま/もう片足の靴下が見つからないと騒ぐと/彼女は米も入れてない炊飯器に/スイッチを入れてごはんですようと私をよぶ」
それぞれのトンチンカンを責めるのではなく、味気ない暮らしに笑いをもたらす天の恵みと受け止める。「図にのって二人ははしゃぎ/明日はまたどんな珍しいトンチンカンを/お恵みいただけるかと胸ふくらませている」
トンチンカンを楽しむ、というのは、この先例があったからこそだが、それを「天の恵み」としゃれる心の余裕はまだない。
ある晩、レンジでチンしたコロッケが出てきた=写真。「ずいぶん白いなぁ」。カミサンはハッとして、コロッケを引っ込めた。冷凍コロッケを揚げると茶色くなる。揚げずにチンしたのだった。
同じころ、テレビを見ていて、「ジョウトウク」という言葉が耳に飛び込んできた。「城東区? どこにあるんだろう」。すると、わきから「ジョウトウクではなく、京都府!」
「はい、白いコロッケ」。後日、こんがりきつね色になって「白いコロッケ」が出てきた。やわらかくてうまかった。白いコロッケも食べてみたかったな――これはしかし、口には出さない。
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