2022年5月25日水曜日

バターナイフ

もう1カ月前のことだ。四倉のワンダーファームで「福の島クラフトフェア」が開かれた。アッシー君を務めた。

会場入り口近く、直売所「森のマルシェ」の前にはフードブースがあった。私は、「焼き小籠包」と郡山ブランド野菜の「御前(ごぜん)人参」を買った。カミサンは、福島県授産事業振興会のブースから木製のバターナイフを買った=写真。

このごろは昼にパンを食べることが多くなった。先日、このナイフがバターとともに出てきた。

 バターナイフを買ったとき、リーフレットをもらった。それによると、同振興会は障がい者がつくった授産製品の販売促進、工賃向上支援、技術開発支援、農福連携支援事業などに取り組んでいる。

木製ナイフでパンにバターを塗りながら、なぜかシベリアに抑留された元日本兵の木製スプーンを思い出していた。同じ手製だったからだが、それだけではない。

中国大陸や朝鮮半島で終戦を迎えた日本兵が、スターリン体制下のソ連に抑留される。彼らは収容所に入れられ、過酷な労働を強いられた。

平成21(2009)年6月。いわきフォーラム’90主催のミニミニリレー講演会で、市内に住む帰還者から抑留体験を聴いた。拙ブログで振り返る。

過酷な労働と粗末な食事、仲間の衰弱死、望郷……。講演当時85歳の体験者3人と、亡くなった1人の奥さんの計4人が淡々と、ときに嗚咽(おえつ)を抑えながら体験談を語った。抑留生活を物語るバッグや靴とともに、自作の木製スプーンが展示された。

立花隆の『シベリア鎮魂歌――香月泰男の世界』(文藝春秋)に、<再録「私のシベリヤ」>が収められている。

若く無名だったゴーストライターの立花(当時29歳の東大哲学科の学生)が香月にインタビューし、香月の名前で本になった。やはり、ここにも木のスプーンの話が出てくる。

「伐採した松の枝を少しへし折ってきて、収容所に帰ってから、スプーンをこしらえた。ハイラルにいるころ、立派な万能ナイフを拾ったことがある。(略)ネコババしてシベリヤまで持ってきていた。何度かの持物検査でも、無事に隠しおえてきた。このナイフとノミで形をつくり、後は拾ってきたガラスの破片で丹念に磨いて仕上げた」

バターナイフからシベリア抑留の木製スプーンに連想が飛んだのは、やはりロシアのウクライナ侵攻が影響している。

ロシアは投降したウクライナ兵を支配地域内に連行している。「捕虜」ではなく、「戦争犯罪人」として一方的に裁くのではないか、そんな懸念ももたれている。元日本兵の先例が頭をよぎる。

 さて、木製のバターナイフはどこの授産施設でつくられたものだろう、振興会のホームページをのぞいたが、木工品の中には見当たらなかった。それはそれとして、ナイフはシンプルで使いやすかった。 

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