2022年5月28日土曜日

半食品


   先日のブログでも触れたが、この春と初夏は、カミサンがいっぱいフキを摘んだ。夏井川渓谷の隠居の庭にフキが群生している。庭の草をとる感覚で収穫した。

 「きゃらぶき」は簡単だが、少し太くなったフキを煮たり、炒めたりするには下ごしらえが要る。毎週日曜日夜、カミサンは指先を黒くしてフキの皮むきに追われた。

 私はフキの油炒めが好きなので、直売所などに塩蔵品があるとつい買ってしまう。フキの油炒めそのものなら、なおさらだ。

子どものころは、フキノトウは苦くて食べられたものではなかった。が、その苦みが大人になったときに郷愁と結びついて、食を彩り豊かなものにしてくれる。フキノトウを刻んで味噌汁に放したり、ホイル蒸しにしたりしたのを、舌が受け入れるようになったのは20代半ばだった。

油炒めに関しては、フキノトウのような強烈な記憶はない。子どものときからご飯のおかずとしてなじんでいたのではないかと思う。

あるとき、街中にあるビルの食品コーナーをぶらぶらしていたら、ショーケースにフキの油炒めが陳列されていた。

さっそく買って、酒のつまみにした。ところが、フキの風味はどこかへ飛んでいた。ただただ砂糖の甘さが口に残った。

阿武隈の山里では、初夏に採って余ったフキを塩蔵する。ただし、それだけでは「半食品」にすぎない。

盆や正月などのハレの日に、塩抜きをして、5センチほどの長さに切って炒める。それがでんと大皿に盛られて出てくる。野趣を損なわない程度にやわらかく、あっさり甘く味付けされたフキは、いくら食べてもあきない。

先日のブログでは、「終わり初物」についても書いた。「初物」の反対で、山菜や木の実、キノコ、いや野菜も含めて、これで収穫・採取を終わりにする、というときに使う。

初物と終わり初物の間には旬がある。あっちでもこっちで採れる、となれば、お福分けが行き交う。いよいよ春から続くお福分けも先が見えてきた。

若いときは体力も気力もあったから、どっさりお福分けが届いても、なんとかなった。しかし、家族が減り、老いて夫婦2人だけになった今は、食べきれない量が届くと少々げんなりする。

それからの発想で、今年(2022年)、カミサンは「素材」として届いたお福分け、たとえばタケノコの場合だと、すぐ皮をむいて煮て「半食品」にしてから、近所にお福分けをした。

採ってきたフキも同じだ。タケノコもそうだが、ゆでて皮をむいた「半食品」だと、もらう人の表情が明るい。喜ばれていることが分かる。

三春ネギを定植する過程で、未熟な苗がいっぱい出た。捨てるのは忍びない。こちらは、よく洗って葉ネギとして利用することにした。

 カミサンが小口切りにして小パックに入れ=写真、冷凍保存にした。若いので香りも甘みもないが、彩りにはなる。こうするとやはり、喜んでもらってくれる人がいる。 

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