2022年5月16日月曜日

阿佐ヶ谷アタリ……

             
 カミサンが移動図書館から借りた本を持って来て、「真尾(ましお)さんのことが書いてある」という。

 真尾さんとは、作家の真尾悦子さん(1919~2013年)のことだ。夫の倍弘(ますひろ)さん、そして2歳に満たない娘とともに、昭和24(1949)年、縁もゆかりもない平市(現いわき市平)へやって来る。

同37(1962)年には帰京するが、それまでの13年間、夫妻が平で実践した文化活動は、大正時代の山村暮鳥のそれに匹敵するくらいの質量をもっていた、と私は思っている。

 真尾さんは平時代の昭和34(1959)年、最初の本『たった二人の工場から』を出したあと、『土と女』『地底の青春』『まぼろしの花』『いくさ世(ゆう)を生きて』『海恋い』などの記録文学を世に送り続けた。

私が30代後半のとき、ある集まりで初めてお会いした。以来、息子にそっくりだということで、真尾さんが平へ来るたびに声がかかり、お会いするようになった。わが家へ来たこともある。

その真尾さんが、青柳いづみこ『阿佐ヶ谷アタリデ大ザケノンダ――文士の町のいまむかし』(平凡社、2020年)=写真=に登場する。

タイトルからして『荻窪風土記』を書いた作家井伏鱒二の漢詩の意訳だとわかる。実際、高適「田園春望」の井伏訳を引用している。

阿佐ヶ谷あたりには戦前・戦後、井伏をはじめ作家の外村繁、上林暁、太宰治、仏文学者の青柳瑞穂といった文士がひしめくようにして住んでいた。

文士たちは「阿佐ヶ谷将棋会」を結成し、終われば飲み会を開いた。それが戦後、飲み会として復活する。

『阿佐ヶ谷アタリ……』の著者は青柳瑞穂の孫で、今も阿佐ヶ谷で暮らす。ピアニスト兼文筆家だという。真尾さんも『阿佐ヶ谷貧乏物語』(筑摩書房、1999年)を書いた。

真尾さんは、雑誌の編集者をしていた。夫も出版社の編集者だった。どちらも阿佐ヶ谷界隈の文士とは縁が深かった。

独身者のアパートに夫婦で住んでいた。妊娠すると追い出された。で、つきあいのある作家外村繁の家で一時、間借り生活をした。

 夫妻が阿佐ヶ谷に住んだのは昭和22(1947)年2月から1年ちょっとだ。『阿佐ヶ谷貧乏物語』には、2人の周辺にいた文士がたびたび登場する。

 『阿佐ヶ谷アタリ……』は、真尾さんより一世代若い、「阿佐ヶ谷っ子」が祖父たちの交流を追ったノンフィクション、いわば真尾さんの本の続編として読める。

 中に「女性から見た阿佐ヶ谷文士」という一項目がある。真尾さんのことだ。インタビューしたときの話が下敷きになっている。

 インタビュー記事は青柳いづみこ・川本三郎監修『「阿佐ヶ谷会」文学アルバム』(幻戯書房、2007年)に収められている。

こちらの本は総合図書館から借りて読んだ。夫の倍弘さんが一度、阿佐ヶ谷会に出席したこと、平時代を切り上げて帰京すると、上林暁が自分の名刺に一筆書いて倍弘さんを各方面に紹介したことなど、真尾さん夫妻に関する“新情報”が載っていた。

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