2022年7月12日火曜日

「かもめ」が届く

日本野鳥の会いわき支部の元事務局長峠順治さんから、支部報「かもめ」第155号(7月1日発行)=写真=の恵贈にあずかった。全8ページのうち、3ページを事務局長・支部長を務めた故小野金次郎さんの追悼に充てている。

支部の前身、「平野鳥の会」発足から50年の記念誌が作成された際、峠さんが図書館で調べたいわき民報の記事掲載年月日一覧コピー(昭和40年~平成4年)も添えられていた。

峠さんのメモに「いわき支部が独立する以前は広報誌を発行していませんで、各種行事の市民への広報活動に小野さんは苦労されたと思います。その点、いわき民報様には大変お世話になったと思います」とあった。

小野さんは平野鳥の会発足時の事務局長だった。つまり、いわき支部50年の歴史は、そのまま小野さんの支部歴と重なる。

今回初めて、小野さんが野鳥の会とかかわるきっかけを知って、偶然か必然かは紙一重、そんな思いがわいた。

 平野鳥の会の初代会長は藤井民二さん。藤井さんは当時、平三小PTA会長だった。時の校長は高杉清寿さん。小野さんが同小に転勤すると、高杉校長から「平野鳥の会」の事務局業務も命じられたという(峠さん)。

 PTA会長と校長と、どちらがリードしたかはわからない。が、2人が会長と副会長では、小野さんも協力せざるを得なかったのだろう。

平野鳥の会が発足するのは昭和41(1966)年。同年秋、14市町村合併で「いわき市」が誕生すると、「いわき野鳥の会」に改称される。

その後は、「県野鳥の会いわき支部」から「日本野鳥の会県支部いわき方部会」となり、平成5(1993)年、県支部から独立して現在の日本野鳥の会いわき支部に変わった。支部報「かもめ」が発行されるのはこのとき。

私がいわき民報社に入社したのは平野鳥の会発足から5年後の昭和46(1971)年で、藤井会長(支部長)がよく職場に顔を出した。小野さんともやがて顔見知りになった。

 私は取材だけでなく、個人的な興味もあって、昭和60(1985)年ごろから石森山や閼伽井嶽の探鳥会、あるいはツバメのねぐら観察会に参加したりした。コラムにも野鳥がらみの話を書くようになった。

川俣浩文前支部長や峠さんからはたびたび詳しい話を聴いた。現役を退いてからも、たまに支部報「かもめ」が届き、新たな知見を得ることができた。

近年では、コブハクチョウが南部の鮫川河口で繁殖・定着していることが確認された。それを「かもめ」で知った。

川俣さんからは、支部創立50周年を記念して発行した『いわき鳥類目録2015』の恵贈にあずかった。これは今も、いわきの野鳥について考えるテキストになっている。

  野鳥は翼をもった隣人――。それと同じで、日本野鳥の会いわき支部ともいい隣人関係でありたい、と常々思っている。 

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