男子100メートルには日本からサニブラウン・ハキーム選手ほか1人が出場した。サニブラウンは決勝まで残ったが、8人中7位に終わった。
メディアは「世界大会では1932年のロサンゼルス五輪の吉岡隆徳以来90年ぶりのファイナリストになった」と報じた。
ファイナリスト8人のゴールの写真が新聞に載っていた。米国の3人がゴール手前の数字を踏み、残る4人がほんの一歩(1~2メートルだろう)遅れてゴールするところだった。
1位のフレッド・カーリー選手は9秒86,サニブラウンは10秒06。わかりやすく100メートルを10秒で走り抜けたとすると、1秒は10メートル、0.1秒は1メートル。つまり、トップと7位の差はゴールの瞬間、2メートルだった。たった2メートルだが、超一流がそろった国際大会では、この差は大きい。
日本陸上界としては歴史的な決勝進出に違いない。吉岡隆徳も歴史上の人物になった。ロス五輪では東洋人として初めて、100メートル決勝で6位入賞を果たした。別名、「暁の超特急」。
1964年の東京五輪では、教え子の飯島秀雄が男子100メートルに出場し、依田郁子が女子80メートルハードルで5位に入賞した。
高専1年生のとき、学校のテレビで東京五輪を見た。それで吉岡、飯島、依田の名前を知った。そのあと陸上部に入り、主に1600メートルリレーと走り幅跳びの練習をした。
短距離選手と長距離選手とでは、足の筋肉の付き方が違う。短距離選手は太ももが丸太のように大きく太くなる。サニブラウンがそうだし、東京五輪のときの飯島がそうだった。私も、10代の終わりには太ももが丸太のようになった。魚にたとえると、短距離選手は赤身のマグロ。
中3の孫が陸上部に入り、市大会を経て県大会に出場した。種目は400メートルリレーで、予選で敗退したものの、いい経験になったことだろう。
隔世遺伝というわけではないが、自分と同じように走る競技を選んだことで、何に喜び、何に苦しんでいるかが、なんとなく想像できる。
下の孫は短距離も長距離もこなす。上の孫はぜんそくの持病があったため、小学生時代はどちらかというと、弟に引け目を感じていた。それが急速に力をつけた。
先日、父親に連れられて孫がやって来た。上の孫の太ももは、私の2倍はある。現役とロートルの違いをまざまざと見せつけられた思いがした。
間もなく、陸上の通信大会が福島市で開かれる。それが最後の大会になる。そういえば、入道雲=写真=がわく夏休み、高専の東北大会、そして全国大会へ行ったっけ――。はるか昔の話だが、それだっていつか人生の財産になっていたように思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿