夏井川渓谷の隠居では、プロパンガスでご飯を炊く。湯わかし器も、風呂の給湯器もガスが燃料だ。渓谷の上流、川前町の個人商店と契約している。ボンベが2本あって、1本が空になると交換する。
6月のある日曜日、ガスコンロ=写真=で湯をわかそうとしたら、ガスが出ない。連絡したら、店主が奥さんを伴ってボンベの交換に来た(ほんとうの原因は台所のガス栓=ヒューズコックが自動的にガスを遮断したためらしい)。
そのとき、店主は「もう80歳になる。個人でガスを扱っているところはない。後継者がいるならともかく、息子はよその土地で暮らしている。企業なら後継者がどうのこうのという心配はない。郡山市に本社のあるガス会社に事業を引き継いでもらうことにした。ついては近々、メーターの交換をする」というので了承した。
メーター交換の日、企業の担当者が来るまで店主とあれこれ話した。高校生のとき、父親が雑貨店とは別に、ガス事業を始めた。以来、2代にわたって62年間営業を続けてきた。
店主はさらに、周りの山を見渡して「ここらはマツタケが採れる」というので、「いや、もうダメじゃないのかな。松枯れがひどくて」と言いながら、マツタケが採れなくなったのはプロパンガスのせい――というチコちゃんの話を思い出した。
正確には「マツタケが高いのは、プロパンガスが普及したから」だ。令和元(2019年)11月に放送された「チコちゃんに叱られる!」の内容をかいつまんで説明した。
そのときのブログの抜粋――。高度経済成長時代に入る前、家庭の燃料は主に木炭・薪(まき)だった。松山では焚(た)きつけにするため、絶えず「落ち葉かき」が行われた。エネルギー革命で燃料が石炭から石油に代わると、プロパンガスが普及し、落ち葉かきの必要がなくなった。
その結果、落ち葉や枯れ枝が堆積して松山が富栄養化し、ほかのキノコやカビが生えて、松の根と共生する菌根菌のマツタケがすみかを奪われ、数が減って値段が高騰した。
私の生まれ育った阿武隈の山里でも、私が小学生のころまでは近所の人たちが近くの里山から焚きつけ用に杉の葉や枝をかき集めてきた。焚き木拾いを手伝ったこともある。それがプロパンガスに替わるのは高度経済成長期(ざっと60年前)だ。
高度経済成長期を境にして、家の暮らしが一変した。カマドから蒸しがま、ガス・電気釜に替わり、たらいと洗濯板が電気洗濯機に替わった。
はからずも山里のプロパンガス事業を介して、チコちゃんのいう「マツタケが高いのは、そして少なくなったのは、プロパンガスが普及したため」を店主ともども納得したのだった。
それよりなにより、高齢社会の問題がこうして暮らしの現場に立ち現れるようになったことを痛感しないではいられなかった。
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