夏井川渓谷に隠居がある。週末、平のわが家から隠居へ行くのに、県道小野四倉線を利用する。
通い始めて25年以上になる。その“定線観測”をしていていうのだが、道端に転がっているポイ捨てが、空き缶だけではなくなった。
レジ袋が置かれていることがある。中身はごみだろう。しかもこのごろは、道端ではなく、車の走行に支障をきたす中央寄りの路上にドンと捨てられている=写真。
そんな現場に遭遇すると、道端へのポイ捨てにはまだ罪意識が感じられる。路上となれば、何を考えているのか、いや何も考えないからそんなことができるのだと、腹立たしい気持ちが募る。当然、罪意識とは無縁だろう。
なぜそんなことがいえるのか――。若いときの私がそうだったからだ。まだ車は運転していなかった。
沖縄が日本に復帰する前、朋友とパスポートを持って本島をさまよった。今は沖縄市と改称したコザ市でひょんなことから黒人兵と仲良くなった。
そこから北部の町へ、彼の運転する車で遊びに出かけた。後部座席ですっかり快適な音楽に気の緩んだ私は、窓からごみを放り投げた。
すると、黒人兵が振り向きざま、早口で私を怒鳴った。英語を話す朋友が通訳した。「なぜごみを捨てたのか、対向車に当たったらどうするのか」と、えらい剣幕だった。
沖縄は当時、右側通行で、左側の後部座席に座っていた私はつい、日本の感覚で窓を開けてポイッとやったのだった。
私は謝った。と同時に、罪意識と羞恥心とでいたたまれなくなった。21歳。同乗者として車からのポイ捨てに何も感じなかった人間は、以来、ポイ捨てを深く恥じるようになった。
やがて就職し、結婚して子どもができると、免許を取って車を購入した。ごみは車内へ、ポケットへ――を心に決めて、こどもにもそう教えてきた。罪を意識し、恥をかくということは、そういうことなのだろう。
だから、道端の空き缶だけでなく、路上のレジ袋を見ると、ポイ捨てへの罪意識がないことがよくわかる。羞恥心とも縁がない。
不法投棄はしかし、ポイ捨てとはいささか異なる。人目を気にして山奥へ、というのもあれば、川の堤防にドサッ、というのもある。罪悪感の深浅がそうさせるようだ。
渓谷行の“定線観測”でいえば、同じ人が定期的にごみ拾いをしている場所がある。そこはポイ捨てされてもきれいになっている。
捨てる人間がいれば、拾う人間もいる。できれば、拾う人間に――。それもまた半世紀前に黒人兵の𠮟責から学んだことだ。
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