ふたとハンドル(把手)の付いたバケツがある。EM菌(有効微生物群)を利用した発酵器だが、発酵には使っていない。
流しのごみ受けにたまった生ごみをレジ袋に詰めて入れ、1週間ごとに夏井川渓谷の隠居へ運んで畑の空き地に埋める。毎週3~5袋は出る。
ふたは悪臭防止、把手は運搬用に欠かせない。今は2代目だ=写真。初代が私のミスで半壊したため、ホームセンターで探し求めたが、なかなか見つからず、同じ系列の別の店でやっと手に入れた。前のバケツは、25年は持ったのではないか。
渓谷の隠居へ通うようになったのは、平成7(1995)年の5月末。1月17日に阪神・淡路大震災が発生し、3月20日に地下鉄サリン事件が起きたあとだ。
義父と一緒に地元の隣組を回ってあいさつし、週末の土曜日だけ泊まり始めると、すぐ駐在さんから身元を確かめる電話が入った。警察がオウム真理教の信者の動静に神経をとがらせていることがよくわかった。
森を巡ってキノコを観察する・写真に撮る・採集する。それだけではつまらなくなって、野菜づくりにも興味を持つようになった。
隠居の庭の西方はササが覆う荒れ地だった。ササの地下茎を細かく切断しては掘り起こして開墾し、家庭菜園を始めた。さらに、堆肥枠を設けて庭の刈り草を投入して発酵させるようにした。
生ごみも肥料に回すようになった。それまでは「燃やすごみ」として出していたが、堆肥枠ができてからはいったん水に浸して塩分を抜き、刈り草に混ぜ込むようにした。そのためのバケツだった。
街に住む知り合いが通りの落ち葉をかき集めてごみ袋に詰め、燃やすごみの日に出すというので、車に詰めるだけもらい受けて堆肥枠に投入したことがある。「街の落ち葉を山里へ」。そんなタイトルのブログも書いた。
東日本大震災に伴う原発事故後は、街の落ち葉を山里に循環させることを断念した。一時は家庭菜園を続ける気も失せた。
なんとか気持ちを振り絞って、昔野菜の三春ネギの栽培を続け、庭の全面除染が行われたあとは、少しずつほかの野菜も栽培するようになった。
そうこうしているうちに、初代のバケツも劣化が進んだ。ふたの数センチ下に、スタンドを受ける出っ張りがある。
この出っ張りがポロッ、ポロッと欠け始めた。破片はそのつど回収した。でないと、最終的には海のマイクロプラスチックになってしまう。
いずれ新しいバケツを、と思っていたころ。隠居の畑に生ごみを埋めたあと、車のすぐ後ろに置きっぱなしにした。すぐトランクに積めばよかったのだが……。
それを忘れて車をバックさせたら、ガガガガッと異音がする。バケツの上部が壊れて横たわっていた。
ふたと把手は無事だった。バケツの上部にひびが入り、一部は割れて散らばった。何とか持ち運びはできる。
しばらくは壊れたバケツを使っていたが、トランクに積むと、生ごみの腐敗臭が車内に漂う。これにはこたえた。それでやっと2代目を見つけたのだった。
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