2020年12月10日木曜日

自分史としての吉野せいの作品

                     
   もう半月前のことになる。「これからを生きる自分史のすすめ」というテーマを与えられて話した。いわき市生涯学習プラザのライフプランニング講座の一コマだ。

8年近く前、いわき自分史の会で話した資料がある。そのときと考えは変わっていない。が、同じ話はできない。何を軸に話そうかと考えをめぐらしていたら、ひらめいた。

70歳を過ぎて筆を執った吉野せいがいる。作品集『洟をたらした神』と『道』を繰り返し読んできた。たまたま講座のテーマを重ね合わせると、せいもまた自分史を書いたのだ、と気づいた。作品の発表時期は前後しても、『道』と『洟をたらした神』の作品を組み合わせると、みごとに自分の幼少期から老年期までを表現している。

 せいはもともと文学少女だった。大正元(1912)年秋、磐城平に赴任した牧師で詩人の山村暮鳥を知る。暮鳥のいわきの盟友でもある開拓農民で詩人の三野混沌(本名・吉野義也)と結婚したあとは、仕事と子育てに追われた。混沌の死後、ほぼ半世紀ぶりにペンを執り、最初の単行本『暮鳥と混沌』を出し、『洟をたらした神』と『道』を刊行した=写真。

『洟をたらした神』昭和50(1975)年春、大宅壮一ノンフィクション賞・田村俊子賞を受賞する。

「これからを生きる自分史のすすめ」を、二つに分けて考える。これからをどう生きるか――は、せいが夫の死後、自分に課したテーマでもあったろう。何を書くか――。自分の来し方を振り返り、その経験・出来事を基にして、「文学」へと昇華させた。それは自分史そのものではないか。というわけで、講座の前半を「自分史」の観点から、せいの内面と作品の分析にあてた。後半は、どう書くか――の技術編で、これは8年前だろうと、20年前だろうと変わらない。

幼少期=「白頭物語」。主人公は「イヨ」という女の子だ。成人して結婚し、山の開墾・果樹園経営・子育てに明け暮れたイヨが白髪頭になって、生まれ育った小名浜の子ども時代を回想する形をとっている。

青春期=「道」。山村暮鳥サークルに加わっていた「白い人」(松井さん)が海辺の療養施設で亡くなるまでを描く。「松井さん」はせいの思想的盟友とでもいうべき存在だった。

その後(結婚~子育て~夫の死と老い)=『洟をたらした神』。16編の短編で構成されいる。

ポイントは作者としてのせいの内面で、それを資料から浮き彫りにすることにした。『洟をたらした神』が刊行される直前、草野心平にこんな手紙を出している。

「書いたものは殆ど真実の生活記述で、それは随想であり、記録であり、或いは小説風の形をとっておるかも知れませんが、いちがいに身辺雑記とけなされてしもうことだけは悲しいと思います」

「身辺雑記」以上のものということは、「文学」としての批評に耐えるもの、言い換えれば「小説風」、いやそれ以上、自伝的あるいは自分史的「小説」ではないか――そこにせいの本心がうかがえる、ということを強調した。

 そのうえで、自分史の書き方としては①「文学」の高みを目指す必要はない②時系列(アナログ表記)で自分の生きてきた時間を追う必要はない③昔の写真・読んだ本・流行歌・子どもの遊び・先生の言葉など、素材は転がっている。キーワードを軸にして小テーマをつないでいく(デジタル表記)④書き方は自由――といったことを話した。

 同時に、せいが作品を書きだした年齢に達した今、あらためてせいの筆と精神の強靭(きょうじん)さに舌を巻いた、ということも語った。『洟をたらした神』に収められた作品の執筆年は、昭和46年(72歳)=1編、同47年(73歳)=5編、同48年(74歳)=4編、同49年(75歳)=6編だ。このエネルギーは見習わねば。

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