カーラジオを聞いていたら、女性が、「水」をテーマにした創作文で福島県内の小学4年生が全国最高賞に選ばれたことを伝えていた。その創作文も紹介した。
――いつも不思議に思っていることがある。祖父母の家に泊まりに行くと、2人とも朝ごはんの最後に、茶わんに牛乳を入れて飲む。さらに、曾祖母が若かったころは、箱膳を使っていた。それぞれに食器が入っていて、食事の最後にはたくあんで茶わんのよごれをとって食べ、お茶を入れて飲んだ――。
おおむねこういう内容だった。牛乳はともかく、茶わんにたくあんとお茶ないしお湯は、私もカミサンも経験している。「そうだった」。子ども時代を思い出して大きくうなずいた。
後日(12月17日)、記事と作品全文が福島民報に載った=写真。伊達市の伊達小4年小野蒼真(そうま)君の創作文「茶わんと水」で、箱膳・茶わん・たくあんの部分を紹介する。
「ひいおばあちゃんが若かったころは、箱ぜんという物を使っていたそうです。一人一人に小さな箱のテーブルがあり、茶わんや汁わん、皿、はしがセットになっていたそうです」
わが家は町の床屋なので、私が物心づいたころには、箱膳ではなくちゃぶ台を囲んで食事をした。隣村の母の実家、電気もない「ばっぱの家」に行くと、食事はいろりを囲んでめいめい箱膳でとった(ざっと65年前の記憶)。
箱膳はいろりのある部屋の北隣、薄暗い板の間の戸棚に入っていた。小学生になると、自分の箱膳は自分で取りに行った。食べ終わると茶わんにお湯を注ぐ。それから箸(はし)を使って、たくあんで茶わんの内側をきれいにする。終わったらたくあんを食べてお湯を飲む。それで“茶わん洗い”をすませて、また戸棚に戻す。その繰り返し。
最初は教えられたのだろう。「ばっぱの家」に行くと、茶わんにお湯とたくあんを入れるのが食事の終わりの作法になった。
母屋から離れたところに池があった。そこに木製の樋で引いた沢水が注いでいた。鎌倉岳(967メートル)南東麓の沢からは、毛細血管から静脈に血液が集まるように水がしみ出していた。「ばっぱの家」の奥にもう1軒、家があったが、そこは尾根違いの沢水を利用していたのだろう。泊まりに行くと、沢水を桶に入れて運ぶ仕事が待っていた。
小4生の作文に戻る。母親が説明する。「昔は今のような水道はなかったから、井戸や川の水を使っていたんだよ。茶わんを洗うのも大変だったから、使う食器の数を少なくしたり、茶わんのよごれを落としたりするために、牛にゅうを入れて飲んでいたんだと思うよ」。お茶から牛乳へ、というのはそれだけ暮らしが豊かになったということだ。
小4生は、牛乳による茶わん洗いが水を減らす工夫だと知る。さらに、「昔は水を自由に使えなかったので、色々な工夫をして、水を大切に使っていた」ことを理解する。
作文とは関係ないが、今、私は朝ご飯のあと自分の食器を水道水で洗う。水は細いが流しっぱなしだ。そのときいつも、「ばっぱの家」での食器洗いを思い出す。使った食器は何日かに1回、まとめて水がめのそばの流しで桶の水に浸けて洗った。
水道ではないのでフロー(流しっぱなし)は効かない。最低限のストック(桶にくんだ水)で最大限の効果を考えるしかなかったのだろう。それが今になっても生きているというべきか。フローへの戒めが毎朝、頭をよぎる。
0 件のコメント:
コメントを投稿