2020年12月5日土曜日

化学の先生の教え

        
 このところ毎日、高専時代の1年後輩が庭木の剪定(せんてい)に来てくれる=写真。昼を一緒にしながら、よもやま話をする。

 ある日、化学の金田誠先生の話になった。一般教科の授業で何かの実験をしたとき、試薬の入った瓶の取り扱い方を教わった。「ラベルの方を上にする。下にすると、試薬が流れてラベルの字がわからなくなることがあるから」。15か16歳のときだったろう。

 以来、成人して日本酒やビールを飲むようになっても、瓶のラベルを上にしてグラスにつぐ癖がついた。焼酎を一升瓶から黒じょかにつぐときも同じだ。ラベルは濡らさない――それで60年近くきた。

 そう話すと、後輩が応じた。工業化学科だったので、1年のときは担任、卒業研究は担当教官だった。金田先生に器具の洗い方を教えられたという。

 ビーカーその他の器具をきちんと洗わないと、次の実験に使えない。正確なデータが得られないからだ。それで今も、台所では食器をきちんと洗う。鍋や皿などに油分が残っていると洗い直す。

瓶の持ち方といい、器具の洗い方といい、実験室での基本操作がその後の暮らしの中に生きている。これはこれで教育の効果というものだろう。

卒業研究は黄八丈の色素の解明がテーマで、4人で取り組んだという。先輩たちもやはり同じテーマだった。テーマを継続することで研究を深めていったのだろう。「構造式」うんぬんの話になったが、機械工学科の人間にはよくわからなかった。

 で、新たに生まれた興味・関心が黄八丈と色素の関係だ。後輩の話を聞いているうちに、竹久夢二と湯本の温泉旅館、そして黄八丈の丹前を思い出した。

ここの部分は以前書いた拙ブログの抜粋――。夢二は大正10(1921)年8月中旬~11月下旬、福島県内を主にみちのくに長期滞在した。その長逗留(とうりゅう)の折、いわきの湯本温泉を訪れて山形屋旅館に一泊している(同旅館は、今はない)。

昭和60(1985)年にいわき市立美術館で竹久夢二展が開かれた。そのとき、山形屋旅館にあてた書状が展示された。図録によると、夢二は旅館特製の黄八丈の丹前が気に入り、後日それを譲り受けた。それへの礼状だ。

元山形屋旅館関係者の談話が興味深い。「非常に美しく、背のスラリとした和服姿の女性を伴ってやって来た」。夢二と深くかかわった「たまき」「彦乃」「お葉」のうち、最後の「お葉」だろうと、企画展担当学芸員は推測した。

黄八丈の和服姿の女性が黒猫を抱いている「黒船屋」は、大正8年に制作された。夢二の代表作の一つだ。夢二の黄八丈好みがわかる。

さて、「高専 金田誠」で検索すると、福島高専(当時は平高専)の研究紀要がヒットした。昭和40(1965)年発行の第3号に「コブナグサの色素成分について」と題して論文を発表している。次にコブナグサを調べたら、八丈島ではこの草を煎じて染めたものを黄八丈という、とあった。先生の研究と後輩たちの卒業研究が重なる。

がぜん、先生の論文を読みたくなった。高専の研究紀要は残念ながら市立図書館には第55号(2014年度)しかない。後輩の卒論は自分の家の「どこかにお蔵入りしている」。夢二の黄八丈狂いを化学的にひもとく手がかかりになるのだが……。

後輩に聞けば、やはり研究にはコブナグサを使った。このイネ科の一年草はどこにでも生えている。それを採って実験に使った。「泥染め」にはサカキなどの灰汁(あく)を利用した。ということは、いわきでも黄八丈が染められる?

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