2020年12月4日金曜日

「文化芸術は種籾」

        
 読み始めると、「おやっ」となった。博物館としての美術館から論を起こしている。地方自治体が運営する美術館については、予算と事業の関係から自助努力も必要、何か新しいことをするには新しい手法の構築が必要、学芸員と美術館の成長にはそうした挑戦の積み重ねも必要……。普段着から背広に着替えたような書き出しだ。

それを枕に現実と向き合う。市民の命と文化芸術のどちらが大切なのか――。コロナ禍の今、いつにもましてそんな声が大きくなっている。古代ギリシャの哲学者カルネアデスが提起した「カルネアデスの舟板」に触れながら、「もし究極の二者択一を迫られれば、(略)答えは一つしかない。自明のことである」。

しかし、という。一方では「いかに苦しくても種籾(たねもみ)を食べないという故事も忘れてはならない。それは持続を断ち切る行為であり、翌年の死につながるからである。文化芸術は今もこれからも、わたしたちが文明的に、言い換えれば人間的に生きていくための大きな支えであり種籾である」

「カルネアデスの舟板」は初耳だった。ネットで検索する。船が難破し、漂流者が舟板につかまっている。それには一人しかつかまることができない。そこへ別の漂流者がやって来る。その人間を突き放す行為は正当かどうか。緊急避難の考えに通じる問題提起だという。

12月1日付いわき民報の文化欄「美術時評」=写真。月に1回、四半世紀近く、いわき市立美術館の佐々木吉晴館長が担当した。「次回からは新しい執筆者による新しい視点の『時評』になる」と文末にあった。なるほど、襟を正したような文章だったワケがこれか。読者への謝辞を兼ねた、強く重い伝言だ。初回から読んできた者にも、「文化芸術は種籾」が胸の奥深くに刺さった。

昭和59(1984)年の同美術館開館から今年(2020年)で36年になる。開館前に採用された若い学芸員は、草野美術ホールに出入りしていた画家や美術愛好家らとすぐ友達になった。独身時代も、結婚して海のまちに家を建ててからも、館長就任後もみんなと一緒によく飲み、よく談笑した。

彼の乗る最終電車はとうに過ぎ、一緒にタクシーで帰ったり、別のスナックではマスターが車で送ってくれたり、ということもあった。今も2カ月にいっぺん、小さな集まりで一緒になる。

彼の博識にはいつもうならされる。それ以上に私が楽しみにしているのは、酒と食べ物の表現だ。何という酒は、何という食べ物はどううまいか。口に入れたあとの歯ざわり、舌ざわり、のどごしなどを事細かに、ときには擬音付きで描写する。小野町出身の発酵学者小泉武夫さんの文章をほうふつさせるような語りを聴いていると、なるほどうまそうだと、こちらののども鳴る。

「美術時評」の話に戻る。この欄は佐々木館長の文にもあるように、四半世紀近く前、地元の識者に週替わりで出版・演劇・映画・美術の時評を書いてもらうことから始まった。私が現役のときだ。「文化芸術は種籾である」にならえば、これらの時評もまた文化の種籾。佐々木館長の時評を切り抜いて、彼への感謝とともに、ときどき読み返して文化を考えるための「種籾」としよう。

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